ドクター青木のぞうさん日記

makenaizone主宰の青木正美が、自分の生活の中でできるボランティアとは何かを考え、実行してみよう、そんな四方山話を綴ります。
Dr Aoki's Prescription...

2014.3.24

2014年3月24日 月曜日

SNSというのは面白い。

理由があって、縁遠くなっていた甥っ子のRと311の震災の年にTwitterの中で再会した。

亡き父母にとっては、初孫の甥っ子だ。

以来、Rとは一緒に被災地に行ったり、復興イベントにかり出したりしていた。

Rの父親であるわたしの弟とは違って、初対面の人とでも直ぐに打ち解けることができて、真っすぐで優しい性格の青年に育っていてかなり感激したり、ヘビースモーカーでアルコールもよく飲むのに驚いたり。

これまで浪人生だったのだが、今年は某大学に入学が決まったと、これもTwitterで知った次第。

日付けが変わって、3月24日は亡母の誕生日だ。

おふくろ、龍が学校受かったって。お祝いしないとね!


2014.3.20

2014年3月20日 木曜日

18日は日本女医会の東京都支部の役員会。

この会は昨年、正式に脱原発の宣言をした。

先代会長の中山年子先生が、ものすごく災害に造詣の深い方で、わたしが色々な災害関係の会に出てゆくことの背中を押してくださった。

そうして到頭、現会長の渡邊弘美会長が脱原発宣言をした。

一見、医者が脱原発などと当たり前だと思うだろう。

わたしも当たり前だと重々思っているし、他のドクター方も思っているに違いない。

それでも、なかなか言明する機会がなかった事も確かだった。

さて、震災後は役員会の度に原発の勉強会をやっている。

今回は、如何に浜岡原発が危ないのかについて。

ここは砂浜の遠浅という、日本で唯一の原発である。

他の原発は、港湾があって、取水口は港湾内にあるが、浜岡はそれができない。

砂浜から600m沖合いに、取水塔まで砂の中をトンネルを通している。

地震がきたら、この地下トンネルは直ぐに破断するだろう。

なんでこんな簡単な理屈が分からないのだろうか。

そうして、防潮堤を高くすれば良いということで、馬鹿馬鹿しい砂上の防波堤をもっと積み上げた……ここまでくると、余りのクレイジーさにほとほと嫌になってしまう。

と言う訳で、勉強会の最中、大きな無力感に急に苛まれてしまった。

ふう。

ここまで危険性が分かっていて、しかれども中部電力が認めなくて、本当に胃がキリキリする講演だった。


2014.3.16

2014年3月16日 日曜日

今年の311に報道ステーションでオンエアされた、甲状腺癌と被ばくに関して。

この「報道ステーション」は鋭い所を突っ込んで方々に取材に行っていて、素晴らしい。
第一に、チェルノブイリ事故後に初めて分かった事実は、「原発事故に因って小児甲状腺癌が多発した」という事実だ。これは生年月日と癌の発生で、因果関係があるというのは分かっている。

当時どうやって癌を発見したのかというと、1990年ぐらいまでは「視診・触診」であったという事実。その後、ヨーロッパからも医療支援が入り、最も大規模に医療支援をしたのが日本である。
日本の医療支援は1991年から5年間、笹川財団に因って行われたもので、20万人の子供たちの検診をやった実績がある。この支援はソ連の5箇所に検診センターを作って、そこで甲状腺エコーもやっていた。この検診センターは今でも各国(ウクライナに2カ所、ベラルーシに2カ所、ロシアに1カ所)に引き継がれて運営されている。

 

1991年当時、なぜ甲状腺エコーを始めるようになったかという理由は、恐らく視診や触診でそれと直ぐに分かる甲状腺癌の子ども達が増えていたからだと思う。つまり、1991年頃のチェルノブイリでは中等度から重症の子供の甲状腺癌が多発していた可能性がある。
もう一つ大事なことは、当時のエコーと現在のエコーの精度は、格段に今の方が解像度が良いという事実だ。
従って、もしも1986年のチェルノブイリ事故直後から、現在と全く同じ精度のエコーを使って検査をしていたら、どうだったのか?

そう考えると、答えは一つではないかと私は思う。
今日本で見つかっている甲状腺癌は、殆どが早期のもののはず。

さらに言えば、福島の問題を大きくしているのが、こういう事をしっかりと福島県・北関東などの線量の高い地域に住まう人々に、説明をしてこなかった医療者の存在だ。
長崎大の山下俊一氏は前述した笹川財団の検診センターを、仕切っていた長瀧氏の弟子で当時のことを最もよく知っているはずだ。その人が長崎大から抜擢されて福島県立医大の副学長になられた時に、全く被災者のことを考えず、ひたすら国と県の方ばかりみていた。

つまりこの問題は、初期の131ヨウ素被ばくに因る小児甲状腺癌は、しっかりとそういうご説明をすれば、今の日本の医学のレベルではこれほどの混乱を起こすことではなかったのではないかのではないだろうか。
混乱を大きくして不審感を抱くようにさせてしまった、国と行政と県立医大の医師の態度、ここが一番の問題だと思うのだ。
ところで、県立医大の肩を持つ訳ではないが、原発の大きな事故が突然起こった時、世間が思うほどスムーズに充分な検査体制が揃うのだろうか。そういう思いで福島県立医大の「事務方」を考えれば、実は3年間でよくやった方ではないだろうか。

逆に臨床医の中心に徹ししきれなかった山下氏の罪は深い。事務方をも兼ねてやろうとした歪みは、全て被災者への不審感になってしまったのだから。

 

最後に、こうしたシビアアクシデントに備えて、事前に医療体制のことまで考えた原子力行政が必要だったのだ。本来私たちは、そこまでチェルノブイリ事故から学ぶべきだったのだろう。
だからこそ、事故に備えてそんな準備までしなければ住民を救えない原発など、全く人類には必要ないものだと、改めて声を大にして言いたいと思う。


2014.3.14

2014年3月14日 金曜日

14日 2:07、愛媛県伊予灘でM6.1の地震が起こった。

寝ようと思っている矢先、不意をつかれて、地震情報のアラームをボーッと観てしまった。

正直、手が震えた。

 

震源は伊方原発の真下ではないか。

すぐにTwitterとFBを覗くも、いつも起きているはずの九州の友人の反応がない。

しばらくタイムラインも静かだった。

 

伊方原発はどうなのだろう。

震度は? 津波は?

阪神淡路大震災以来、中央構造線沿いの地震が、これほどの規模で起こったことはない。

 

なかなか伊方原発の情報が出ない、NHK。

何をやっているのだ。

2:39、ようやく伊方原発の第一報。

2:48、島根原発は異常がないとのこと。

 

この度、西日本の人々も、地震を体感した。

このような国で、原発を動かすなどは絶対に無理なのだ。

この後、中央構造線上で地震が続くようであれば、南海トラフ地震の前震だととらえるべきだろう。

 

311を忘れない、などと言っている場合ではない。

311の教訓を活かさなくては、被災された方々に申し訳ないではないか。

 

 

 

 

☆2:46 原子力規制委員からのメール

 

◎【緊急情報メール】愛媛県伊予灘地方で発生した地震による影響について(第1報)

<原子力規制委員会から緊急情報メールサービスに登録いただいている方へお知らせです。>

本日(14日)2時7分頃に愛媛県伊予灘付近で発生した地震による原子力施設への影響について、お知らせします。(2時42分現在)

現在、各施設ともに異常情報は入っていません。

1.原子力発電所

<四国電力・伊方発電所(PWR)>

愛媛県:最大震度5強

伊方町:震度5弱

1から3号機:停止中

○プラントの状態に異常なし。

○排気筒モニタ、モニタリングポストに異常なし。

<中国電力・島根発電所(BWR)>

島根県:最大震度4

松江市:震度4

1から2号機:停止中

○プラントの状態に異常なし。

○排気筒モニタ、モニタリングポストに異常なし。

<九州電力・玄海(PWR)>

佐賀県:最大震度4

(唐津市:震度2)

1から4号機:停止中

○プラントの状態に異常なし。

○排気筒モニタ、モニタリングポストに異常なし。

原子力規制委員会

 


2014.3.10

2014年3月10日 月曜日

復興とは何か、災害復興とは何なのか。いったい何をもっての災害からの復興なのだろうか。それでは、災害とは何なのだろうか・・・。

2006年から社会学としての災害復興学に携わってきた。

起こってしまった災害から、被災者をできるだけ速やかに救出し尊厳ある暮らしを取り戻すことを、「公」と「私」の両面から考える学問が災害復興学だ。

しかし、「公」と「私」の間には深い溝がある。誰かの「私」は他の誰のものでもない「私」であるからだ。それを「公」でどれほどカバーできるのだろう。単なる最大公約数であってはならない災害復興における「公」。

因ってそこには、いつも被災者の尊厳を重んじ、自らが選択することを重んじる、被災者の「権利」が最も重要であるというのが大前提にあった。

例えば、災害復興に於いて最も大事なものは「医」「職」「住」といわれている。殊に「住」は、尊厳ある生活の基本中の基本であり、居住権は他者が侵すことができない最も重い権利であるはずだった。これまでの災害復興では、間違いなく。もちろん、出来ると出来ないとには関わらず、それは大前提であったはずだった。

しかし、今回の東日本大震災では、その概念そのものが大きく違っていたのではないだろうか。

そう。平時の「人権」を放射線被ばくと言う、究極の非常時にも適応してしまった結果、余計に人々の尊厳を奪うことになってしまったのではないだろうか。

例えば、今回、年間被ばく量が20mSvになるような双葉八町村や飯館に当初は全て居住制限を掛け、その後は最も厳しい線量以外の場所には、帰るか帰らないかを自治体の首長が単独で決める方式を取ったのだが、この方法が果たして本当に良かったのだろうか。

しかも、当局は終始一貫、空間線量のみを簡易的に調べているだけで、土壌線量は一切考慮に入れていない。

もしかしたら居住制限を掛け放しにして、どうしても帰らざるを得ない人に対してどんな支援ができるのか、という観点で「公」的に「私」の支援をするべきではなかったのだろうか。なぜならば、放射能汚染は人類史上稀にしか起こらない災害であり、全ての人類には未だに放射能災害に対して十分な経験を持っていない。

そんな災害に対して、厳しい居住制限を掛けることは、果たして本当に不条理で人権侵害の政策だったのだろうか。もしかしたら大変に厳しい環境に一見、自由な意志を重んじて住民を「返す」ことの方が、ずっと重い人権侵害を引き起こすことにはなりはしなかったか。

そうして、その現状をただただ傍観していただけの私たちは、果たして正しい傍観者だったと言えるのだろうか。

なぜならウクライナのチェルノブイリのzoneのように、結果的には廃炉になるまでは「医」と「職」と「住」は、zoneの中にもあるのは事実なのだから、必要に応じて残すことはあってもいいのだが、予防原則の立場にたてば、予見出来ない場所に帰還することをすすめるべきではなかったのではないか……という反省が今の私には大いにある。

だからこそ、今福島県で起こっていることを総合的徹底的にこれから福島県で起こること、首都圏で起こること、日本中で起こることの可能性を徹底的に洗い、優先順位をつけて非常時の災害復興を考えてゆくしかないのではないか。

もちろん、福島にだけ対応していてもダメで、岩手・宮城を始めとしてあらゆる地域の実情も考慮に入れなくてはならない。以下、備忘録のつもりで書き出してみる。

#1 福島第一原発廃炉までのロードマップの徹底的な見直し(100年構想)

#2 双葉八町村のzone化計画。国直轄事業にて

#3 TEPCO清算に伴って福島原発内就労者の透明化

#4 双葉八町村及び線量の高い地域(含む中通地方、栃木県北部、茨城県、東葛地域)の移住計画の法的整備。二重住民票、セカンドタウン構想etc.

#5 白河・那須塩原地域への移住促進(含む首都圏広域介護タウン構想)

#6 首都直下・南海トラフ地震への具体的対応策(含む首都機能分散構想)

#7 南海トラフで被災する原子炉に対する予見と対処

#8 青森県・岩手県・福島県・茨城県の原子炉に対する予見と対処

#9 若狭湾と柏崎・刈羽原発が被災した場合の原子炉に対する予見と対処

#10 大規模災害時の疎開対策(関東・東海・近畿の被災時に於ける、住民の大規模な疎開についての構想と大規模な啓蒙)

などなど、誰と誰を繋げれば未来に光が射すのだろうか。

この部分を考えるエキスパートが、この国にはなかなか居ない。

こうして書き出してみると、結局は国の形を大きく変えてしまう災害がこの国に迫っているという事実に基づいて、誰が責任を持って何を提言してゆけるのかに掛かっているように思うのだ。これは、今までの災害復興をふまえて一歩前進をさせて行かなくてはならないということである。

こういう事を事前にフレキシブルに考えられる法律家は、日本では恐らくたった2人しか居ない。

社会学的・安全保障的・社会保障的・経済的・政治的など、色々な角度から考えてゆけるメンバーも、恐らく日本に数人しか居ないはずなのだ。

しかしその面々を集めて、志のある誰かが、想定外のその壁を超える発想を持っていなければ、恐らく早晩この小さな島国は終焉を迎えるだろう。

311の日にこそ、粛々と考えなてゆかなくてはならないことだと思うのだ。

写真は真冬のまだ平常な隅田川

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