ドクター青木のぞうさん日記

makenaizone主宰の青木正美が、自分の生活の中でできるボランティアとは何かを考え、実行してみよう、そんな四方山話を綴ります。
Dr Aoki's Prescription...

2013.10.20

2013年10月20日 日曜日

20日は冷たい雨の降る中、関西学院大学@丸の内キャンパスでの研究会に顔を出し、東日本大震災の主に三陸地方の復興論議を見聞。災害復興のスペシャリストが繰り出す、ものすごく専門的な話だ。
この震災では、わたしは主に福島県の原発震災の研究会に居るため、時々は三陸の復興について話を聞くと、参考になる点が多々見えてくる。

災害復興は公助、共助、自助と言われているが、わたしのイメージしている飢餓感が、一体何に因るものなのかを、いま一度考えるきっかけが見えて来る気がした日曜日の研究会だ。

夕方からは後楽園ホールへ。
格闘家の漆谷康宏選手の試合の応援だ。漆谷選手は、我がmakenaizoneのサポーターを買って出てくれていて、試合用のパンツにmakenaizoneのロゴを張ってけて試合に臨んでくれていた。
そこで、一時帰国中の田中幸子編集長や友人たち7人で試合を観戦。
漆谷康宏選手は判定で勝利した。
元々、格闘技の観戦は好きではなかったし、少し前まで後楽園ホールは場内、喫煙可だったので、本当に煙ったい不健康な場所だったのだが、喫煙所が隔離されていて、ファミリーで観戦する人たちもたくさん居て、少しだけ柔らかい感じの場内になった。が、やはりウルシの出番が近づくと胃が痛くなって、肝心の彼の試合はもう見ていられないったらありゃしない。

毎度のことながら、苦しい減量と強力なトレーニングを見ているだけに、勝って心からホッとした次第。

さ、また一週間が始まる。
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2013.10.17

2013年10月17日 木曜日

小泉純一郎氏の脱原発発言が、到頭、国会議事堂で話題になった。みんなの党の渡辺代表が引き合いに出したからだが、初めて小泉氏の脱原発発言が大マスコミに載ってから、約7週間。

わたしは小泉純一郎氏の取ってきた政策は殆ど支持できなかったし、戦後の日本の軍隊をイラクに送るようなことをしたという意味では、正直、今でも許し難いとも思っている。

しかし同時に、その人気の源についてこれほど考えさせられた人物も、他にはいなかった。人気の理由を考え続けてきたのは、マスコミも同様だろう。賛否で言えば明らかに否であるのだが、訳もわからず惹き付けられてしまったのではないか、小泉に。

小泉が脱原発と本気で言った時、だからあらゆるマスコミは無視をできなくなる……わたしはそう感じていた。そうして、それはこの国が原発を止めることができるか否かの、最初で最後の分水嶺になるだろうと、今のわたしは確信している。

               ***** *****

本気でこの国の原発を止めようと思ったら、大江健三郎氏が50人いても止まることはないだろう。瀬戸内寂聴氏が100人居ても止まることはないだろう。落合恵子氏が10人居ても止まることはないだろう。
しかし、小泉純一郎が言い出せば、止まる可能性は十二分にある。

それは多分、今わたしが考えているよりも、遥かに大きなうねりになるはずだ。
小泉を中心に80%の国民は、脱原発の船に乗り込めるはずだからだ。いや、もう乗り込む準備は整っている。
あとは彼の船を引き受ける側が、はっきと意思を示すべき時が近づいている。

               ***** *****

「さようなら原発」の呼びかけ人、内橋克人氏、大江健三郎氏、落合恵子氏、鎌田彗氏、坂本龍一氏、澤地久枝氏、瀬戸内寂聴氏、辻井喬氏、鶴見俊輔氏各位に呼びかけます。
可及的速やかに、小泉純一郎氏とコンタクトをお取り下さい。
小泉は、そのアプローチを待っているはずだから。

原発にさよならをするためには、小異を捨ててください。きっぱりと過去を捨ててください。過去を捨てない限り、原発は必ず動き続けるでしょう。

しかし、もしも、過去を捨てて、新しい小泉を迎え入れることが出来れば、「さようなら原発」は文字通り1000万人アクションが実現できることでしょう。

次の集会の時、小泉がゲストスピーカーとして登壇するような事が起これば、小泉は黄色の横断幕を持って、デモの先頭で歩くことでしょう。さすれば必ずやこの国は原発を止めることができるでしょう。

小泉にコンタクトを取ってください、関係者の皆さん、そして落合さん。
小泉はあなたとならば、一緒にやると言うでしょう。
その夢を叶えられるのは、あなたしか居ないのだから。


2013.10.16

午前中の台風26号が落ち着いた午後、makenaizoneの田中幸子編集長がぶらりと立ち寄ってくれた。
ここのところ、年3回ほどは帰国しているし、その度に2〜3回は会うのだけれども、それに第一、毎日SNSとかブログとかメールとかで、いつも情報を共有しているのだけれども、顔を見ると何故だかほっとする。

彼女の手みやげは「世界に広がる まけないぞう」と題したアルバムだった。
手にとってページをめくると、一瞬にして、胸の中の湖に水が湧いてくるような、そう透明な感動がわき上がってくる感じがした。
きっと誰も居なかったら、わーわー泣いてしまっていただろう。

裏表紙にはmakenaizoneのロゴがあった。
2011年の5月にクリニックのベッドに横たわった岩崎美和子さんが、ちょちょっと描いた絵がモチーフになっている。
それからというもの、私たちは「まけないぞう」を通じて被災地支援をすることに夢中になっていった。というか、それしか何もやりようがなかったという方が正しいのかもしれない。皆がそれぞれの心に大きな喪失感を抱えながら、「まけないぞう」と一緒に不安を乗り越えようとしていた2011年だった。

やがて正式にH.Pを立ち上げて、50年来の友である田中幸子がブログを書いたり写真を撮ったり、東日本大震災の被災地で暮らす女性たちのドキュメント映画「311、ここに生きる」(まけないぞうを制作する場面も出て来る、ついでに青木も出ているが)の我謝京子監督とともに、ヨーロッパやアメリカでの映画祭でまけないぞうを紹介する旅を紹介したり、あれやこれやをmakenaizoneのH.Pを編集してくれて、気がついたら2年5ヶ月が過ぎていた。

田中幸子はわたしの小学校からの友人だが、95年の阪神淡路大震災でフィアンセを失った。彼女は東日本大震災の発災時には、オーストリアで暮らしていた。そうして震災の後に一時帰国した際に、わたしのクリニックで「まけないぞう」と運命的に出会う事となった。それ以来、世界中どこへ行くにも「まけないぞう」と一緒だ。
この夏に夫の故郷のアイルランドに引っ越した彼女は、またまた、ご近所中にぞうさんを紹介して歩いている。

その田中幸子編集長が来週から東北に入る。主に岩手のつくり手さん達のところを回る、言わば「まけないぞうの現場」へ旅に出る。それで、アルバムを作ったのだという。
このアルバムをめくれば、東北の作り手さんたちに大きなメッセージが伝わるはずだ。
色々な国の人々が、「まけないぞう」を抱いて笑顔でいるだけのアルバムなのだが、「世界は東北の被災地を忘れてなんかいやしない。しんどい事も多いけれども、世界中が応援しているからね。まずは私自身が応援しているから、どうかどうか乗り越えて行こうね」という、メッセージが誰にでも一目で伝わることだろう。

あー、涙が出てきた。
もうすぐ冬がやってくる東北で、きっと多くの人々の涙と笑顔に出会うことだろう。
想像しただけで、胸が熱くなる。いい友を持って本当に誇りに想う晩だ。

昼間、アルバムを手渡された時に、彼女にサインを書いてもらった。
「子どものころからのつきあいが
こんな大きな輪に広がったぞう。
おばあさんになるまで、続けるぞう。
感謝」

子どもの頃から変わらない、クセのある字でそう記されてあった2013年10月16日だ。


2013.10.15

2013年10月15日 火曜日

大型の台風26号が近づいている。
最低気圧が今朝は930hPaまでになった。22時現在は955hPaである。
それでも大変に大きな台風だ。
これが偏西風に乗って、勢力の衰えないまま東日本を縦断する模様だ。

明日の午前中は、スタッフは3時間程時間をずらせて出勤することにしたが、どんな台風の中でもいらっしゃる患者さんがおられる以上、わたしはできるだけ平常に近い時間に出勤しなければならないかなぁと思っているが、果たして9時に開けられるかどうか。
まさにその時間、東京上空を26号は通過する予定だ。

こういう自然の猛威を目の当たりにするといつも思うのだが、これだけ台風が来て地震も多く火山も多いこの国に、誰がどうして原発など持ち込んだのだろうか。正力某氏はこの国の四季や歴史のことなど、眼中になかったのだろうか。
このままだと福島原発のすぐ近くを通る台風26号。本当に何とか無事でいて欲しい。


2013.10.12

2013年10月12日 土曜日

今朝から信州に来ている。
久々のロングドライブだったが、メッチャ早朝にもかかわらずクルマが多かった関越道。しかも途中のサービスエリアには、止まりきれないほど多くのクルマで溢れかえっていた。

東京を出て2時間ちょっと、一心不乱に運転をする。
20年ほど前、少し大きな自損事故をしてからというもの、運転するのがものすごく億劫になっていた時期があって、今もその後遺症で事故前の感覚には完全には戻れないのだが、この夏辺りからドライブが少しだけ苦でなくなりつつある。

そういえばこの20年で、クルマのトレンドも大きく変わってしまった。
低燃費で環境に優しいエコなクルマ……分かるのだが、なんであんなにみんなカッチョ悪いんだろうか。

昔からクルマは見かけがカッケーのでないと、乗りたくない。
酒もタバコも賭け事も投資もやらない自分の、そういってみれば唯一の趣味がドライブだった。いくら事故って億劫になったとはいえ、視力も落ちて聴力も落ちて反射神経も悪くなったとはいえ、ひとたびハンドルを握れば自分のことをアイルトン・セナだと思っている訳で……。やっぱカッケークルマに乗りたいよなぁ。

エコカーを作っている会社のデザイナーのみなさん、ねぇ、もうちょっとカッケークルマ、作ってよ。第一、何であんなにみんな同じような形なの?パソコンのマウスじゃあるまいに。
あと、簡単に駐車できるアラウンドビューモニターなるものや、ブレーキを踏まないのに勝手に止まるシステムなんぞ、余計なお世話だぉ。そういう訓練に因って磨かれる技能は、やっぱりドライビングに因って維持しなけりゃダメしょ。あまりアシストが過ぎると、妙に過信をしてしまうのが人間の悪いクセなんじゃない?

ナンチャッテ。こんな憎まれ口を叩きながら、晩秋の信濃路を往く朝だ。

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