ドクター青木のぞうさん日記

makenaizone主宰の青木正美が、自分の生活の中でできるボランティアとは何かを考え、実行してみよう、そんな四方山話を綴ります。
Dr Aoki's Prescription...

2013.9.24

2013年9月24日 火曜日

連休後の外来を終えて、夕食を買って帰宅。
到頭、最終週になってしまった「あまちゃん」を観てから、録画してあったETV特集の『復興はしたけれど~神戸 新長田再開発・19年目の現実~』を観る。

旧知の兵庫県震災研究所の出口俊一さんが取り組んでおられる、長田区の再開発問題を取り上げた番組だ。

長田の大正筋の再開発は、この計画段階から失敗が目に見えていたものなのだけれども、またここにくるまでも何度も取り上げられてきたテーマなのだけれども、阪神・淡路大震災から18年経って、「古くて古い」話題になってしまっていた。
殊に東京の人間などは、見向きもしない問題になってしまっていた。

今回のETV特集は、NHK仙台局のディレクターが作った番組であるところがミソだ。
あの阪神大震災で、神戸では再開発の幕が切って落とされたのだが、殊に長田地区では大失敗に終わった。昔から賑やかだった商店街の大正筋は、再開発に因ってガラガラの街になってしまった。街が死んでしまったのだ。でも、神戸市は誰も責任をとらない。
ミクロ的には、資金の負担増は重く商店主の肩にかかってゆく。マクロ的には神戸市民の税金が投入され続けている。

と、こういう新開発の、そういってよければ「魔の手」は、仙台を始めとする東北の復興の現場にも現在進行形で起こっている。復興予算は、高台移転という名の再開発にじゃんじゃん投入されている。

わたしは関西学院大学の研究員になってこれまで、「災害からの復興とは何か」ということをずっと考え続けてきた。今回の東日本大震災では、福島原発震災のことのみに専念しているが、通底している問題は「復興をどうとらえるのか」という問題意識そのものなのだ。
今回の東日本大震災ほど、復興論の抜本的な見直しが迫られている災害は、他になかったのではないかと感じている。

この国が抱えてきた復興論は、江戸の頃・明治の頃・世界大戦の後も、一貫して「復興」イコール「成長」という路線だった。
例えば戦後に起こった伊勢湾台風などは、正にその典型例で「待たれた台風」と呼ばれている。つまり、復興予算でインフラを整えて街を大きくし、大発展を遂げたという見本が、名古屋における伊勢湾台風だったのだ。

しかし、もうこのような発展型の災害復興は望めないのが現実で、それは人口減少の時代に入ったからであり、人口の高齢化が計画の無理に輪をかけている。にもかかわらず、未だに伊勢湾台風型の災害復興を望んでいる人々がいる。

しかしその矛盾は既に、18年前の新長田の復興計画が頓挫した時点で、とっくに気づいていなければならなかったはずだった。
けれども、けれども……。

ところで、災害復興の研究者たちが、寄ってたかってずっと考えてきた「復興とはなにか」という問いに、今年、宮藤官九郎という劇作家がドラマでいとも簡単に新しいテーゼを投げかけてくれたのが「あまちゃん」なのである。

という訳で、わたしの「あまちゃん」への想いは、また後日に。


2013.9.20

2013年9月20日 金曜日

寝ようと思っていた2時25分、緊急地震速報がau iPhoneから一回鳴るより先に揺れが来た。早速テレビを付けてTwitter起動。震源地が福島県浜通りM5.8(後にM5.9と修正)と確認してから、福一カメラをチラ見しながら、福島県下のモニタリングポスト、風向き諸々をチェックしていたら、寝そびれた。

気がつけばソファーに座ったまま朝になっていた。

こういう事を、あと何年、生活の中でしてゆかなくてはならないのだろう。
福島県に住む、今ではかけがえのない友たちとも、夜中のFaccebookで無事を確認し不安を共有して……。

この地震で改めて、巨大利権や被災地復興の妨げになるという理由以外に、東京五輪への異議を考えさせられた。

第一に、福島原発は安全に収束するのだろうか。
4号機の燃料プールが倒壊寸前であると伝えられてから工事が進み、今年の年末から燃料棒の取り出しが始まるという。1500本余りの燃料棒を、一本たりともミスをしないで取り出すことが可能なのだろうか。
ここにきて汚染水問題がいよいよ深刻になってきている。そこにやれクレーンが折れた、やれ排気塔のダメージが大きい等々。
何といってもメルトダウンした燃料はどこにあるのだろうか。

第二に、首都直下地震の発生はいつだろうか。
最近になって、関東地震の発生メカニズムは「真鶴半島〜三浦半島」下にフィリピン海プレートが潜り込んで起こるプレート境界型地震であるとの説が確立した。同じプレート境界は房総半島の東まで延びる。
1923年の関東大震災では、西側のプレート境界のみが動いた結果であり、東側は未だに動いていない。そこには大きな歪みが溜まっているのだという。

第三に、南海トラフ地震の発生はいつだろうか。
東海・東南海・南海のプレート地震が起これば、その被災地域は関東から九州沖縄の太平洋側に及ぶ。この国の人口の半分は大なり小なりの直接に被害を被ることとなる。
南海トラフ地震の震源域の直上に、中部電力浜岡原発が建っている。3・4・5号機の原子炉及び燃料プールには合計で6625本の使用済み燃料が存在している。遠浅の砂地に建てられたこの原発は取水のための港湾を持たず、沖合いに冷却用取水を行う口と原子炉の間は地下トンネルで結ばれている。
御前崎一帯は地震発生時に4mほど隆起するとの予想があるが、果たしてそんな隆起に取水トンネルが絶えられるのだろうか。
中国電力伊方原発には、大きな津波の到達が予想されてもいる。

その巨大地震の発生と前後して内陸型の地震が多発する可能性が高い。そんな内陸型地震に因っても、例えば若狭湾にある原発の被害が起こるかもしれない。

この3つの現象の中で、どれか一つでも起これば五輪どころではなくなる事態になる。国の存亡の危機となるからだが、あと7年間の間、全部が無事である確率とはどのくらいなのだろう。
日本という国の東京という都市は、この67年間に人類史上稀に見る発展を遂げたのではあるが、人類史上最も自然災害に因るリスクの高い都市であるのだ。

そんなこんなを、一日中眠い頭で考えていた、母の月命日の満月の日だ。


2013.9.19

2013年9月19日 木曜日

今日は中秋。この日に月齢が満ちるのは、3年連続だそうだ。次の中秋満月は、2021年だそうだ。

台風が往って空が掃除されて、全国的に中秋の月を望むことができる晩。
わたしたちは同じ月を観ながら、どこへ向かおうとしているのだろう。


2013.9.18

2013年9月18日 水曜日

午後から関西学院大学災害復興制度研究所の福島原発避難者研究会・医療部会。
今日は既知の富岡町からの避難者にお話をして頂いた。

今日の研究会では、何を真正面から捉えなければならないのか、ということを改めて教えてもらったような気がした。

事故から2年半。人々は何を失い、何を背負わされたのか。
なかなか被災者支援法に反映される所までいかない現在、医療部会では人々の健康を守るための最低限の取り決めを提言してゆかなくては、と痛感する。

それにしても、この差別はいかんともし難い。この国の、そういってよければ「理性」と「良心」と「想像力」と、そうして何より「正義」が試されている。大人も子どもも。


2013.9.17

2013年9月17日 火曜日

台風一過なれど気になる被害あり

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