ドクター青木のぞうさん日記

makenaizone主宰の青木正美が、自分の生活の中でできるボランティアとは何かを考え、実行してみよう、そんな四方山話を綴ります。
Dr Aoki's Prescription...

2013.9.16

2013年9月16日 月曜日

台風18号の被害が甚大になってしまった。
関西では水害、関東では竜巻被害と、たいへんな一日になってしまった。

わたしたちの国はこれほどまでに自然災害が多発する国だったのか、と、改めて心にしみ入る思いがした。

それから忘れてはならないことは、自然災害は同時に起こりえるということだ。1923年の関東大震災の際には、直前に紀伊半島から能登半島に抜ける台風が通過して、甲信越地方は折からのフェーン現象に見舞われていた。

よく言われる、関東大震災の火災旋風は、圧倒的な火災が上空に上昇気流を生んで旋風を巻き起こした、と言われるのだが、ど同時に関東の上空はフェーン現象による気流によって強風が吹いていたことを忘れてはならない。

ところで、今回の台風では、福井県のもんじゅのERSSが土砂崩れに因って、データが停止してしまったという。ERSSとは緊急時対策支援システム(ERSS:Emergency Response Support System)という原子力災害が起きた時に、原子力規制委員会や官邸が災害の把握をするために原子炉の状況やモニタリングポストの値を知るためのシステムだ。だからこれが断絶するということは、国家的な危機であるということだ。いくら台風の襲来によったといえども、不可抗力だからと許されるものではない。データ転送のバックアップ手段を何重にも整えるべきだろう。

そもそも、もんじゅにつながる道が一本しかないというのも、それ自体危機的なことなのだが……。

明日は秘密保全法のパブリックコメント締め切り日だ。心は台風一過とはならない日々が続く。


2013.9.14

2013年9月14日 土曜日

今日から連休だが、大型の台風18号がやってきている。
予報円は上陸して和歌山辺りから列島縦断しそうだ。
あのタンクの上を、あの建屋の上を、あのクレーンの上を通るのだろうか……。

夕方から、友人の弁護士たちとの食事会@丸の内オアゾ。
神戸の災害復興のプロ中のプロ、福島原発の訴訟団の担当、憲法学者などとディープな話になった。
近ごろ、医者仲間の会合に出るよりも、弁護士の会合に出る方が多い。

今夜は敬愛する永井幸寿弁護士から憲法のレクチャーをば。
わたしは今年の憲法記念日のNHKの討論会で、永井弁護士が発言した一言で目から鱗がボロボロ落ちたのだった。

「公共の福祉とは他人の人権である」

公共の福祉という言葉ほど、何だか意味が分からないものはない。
でも、この単語を「他人の人権」と書き換えれば、ものすごくストンと腑に落ちる。
そう言い換えると、自民党の憲法草案の公共の福祉は意味が取っ違えているよねぇ、と。

今日のメンバーはわたし以外の4人は法律家なので、わたしが「目から鱗が落ちた」ということに少し驚いておられたが、専門家の理解度というのと非専門家の理解度とは天と地の差があるものの典型ではないだろうか。

憲法学者の桐ヶ谷先生は、「憲法は国民の人権(=個人の尊厳)を最大限に保障するためにある、という当然のことを国民の共通意識にしていかなければなりませんね」と。

本当にそうだ。
311後、法律家たちと活動することが多くなったのだが、それでいつも思っていることなのだが、市井の法律家と医療者が今こそ手をつないでゆかなくてはならないと思っている。

例えば災害の被災者が居るとすると、被災者の後を追いかけて患者さんのフォローをするのが医療だが、法律は過去の被災者の前例を鑑みて、被災者の前方でフォローをすることだと思うのだ。
つまりクルマでいうと前輪が法律、後輪が医療、ではないだろうか?

何はともあれ、法律家4人からの憲法のレクチャー。いい勉強になった晩だ。


2013.9.13

2013年9月13日 金曜日

長い長い一週間だったような、あっという間の一週間だったような。

今日のさいごに、わたしの災害復興学の恩師である、山中茂樹氏と話していて改めて気がついたのだが、この五輪誘致で、世界中に under control だと吹聴してしまった首相は、福島原発の復興はもとより、2020年までの間に起こる可能性のある震災に対しても、under control にしてしまった。

例えば、9月1日の防災の日の防災訓練のニュースバリューがcontrol されて、下げられてしまった。ま、官邸につながっている広告代理店が先手を打てば、いくらでもcontrol できるだろう。
問題は、こんなことが2020年まで続くということだ。ここで災害復社会的に少し考えてみよう。

首都直下地震のリスク評価がガクンと下がってしまったままで、東京のベイエリアの開発が五輪に向けてガンガン進んでしまうことになった。
ミクス第四の矢が五輪と騒ぎ立て、それでなくとも遅れている東北の復興よりも、東京の未開発エリアの湾岸に資本投下しようという。

これに因って、環状七号線の外側から湾岸エリアへの人口流入が加速される。
住宅取得年齢の低下、持ち家率の上昇、が、首都直下震災時には、もれなく二重ローン生活がのしかかってくることになる。
特記すべきなことは、その二重ローンの若者たちは、殆どが正社員なはずだ。

つまり、ミクス第四の矢は、若年のローン世代にとっては、地震発生の瞬間に大きな債務が発生してしまうという意味で、自分たちに向けて放たれたたいへん危険な矢なのである。

何とかしなくては……。


2013.9.11

2013年9月11日 水曜日

小泉がイラク戦争に兵を出した時、「なるほど、どんなに国論を二分する案件でも、選択はどちらか一方に決まるものなのだ。それが歴史なのだな」と、強烈に感じたのだった。

この9月に入った頃から、なぜかしきりに当時のことが頭をよぎるようになった。この既視感の正体は何なのだろうと思っていたのだが、東京五輪が決まって分かったのだった。

冷静にみれば、この国の人々のメディアリテラシーの欠如が原因なのだが、そのリテラシーの差に因って人々は、あっという間に真っ二つに引き裂かれていった。
わたしの目の前でだ。五輪という感動の席に座ったものと、怒りと無力感の席に座った者は見事に引き裂かれていった。その人々は、つい昨日まで同じ映画館で同じように涙を流していたのではなかったか……。しかし、これからは、互いに監視し敵対しながら、狂乱のカーニバルに向かってゆくことになるのだろう。

わたしが感じた「歴史の既視感」のようなものは、1930年代のナチスドイツや日本に起こったような大政翼賛という現象だったのかもしれない。それは、つい3日前まで机上の概念だったのだが、本当にみるみる目の前にはっきりと現れて、日に日に大きく強固になっていってしまった。

多分わたしの動揺が大きいのは、余りにも突然に、そして簡単に引き裂かれてしまったからなのだ。

では、引き裂かれてしまった人々は元に戻らないのだろうか。否、大きなショックに見舞われれば、等しく元にもどるのだろう。
だからその前に、20世紀までとは違う解決策を見つけなくては、と。
あるはずだと思うのだ、このインターネットの空間に。


2013.9.9

2013年9月9日 月曜日

ここ数日の東京のキー局のテレビメディアのはしゃぎっぷりは、何だったのだろうか。
恐らく、よく仕組まれた出来レースだったのだろう。
原発が4基やられても、大丈夫大丈夫。オリンピックには何も影響を与えない、と。

ま、全く汚染水問題に触れない訳にはゆかないだろうから、各国のメディアもIOCメンバーも質問はしたけれども、マドリードよりもイスタンブールよりも、実際に票が沢山入ったのだ。考えてみればIOCはIAEAの宣伝部の役割に過ぎないのかもしれない。

それで東京のキー局のテレビは、一晩中、特番を張って無邪気に喜んでみせた。
土曜の夜から月曜の朝まで50時間ぐらいは、わたしのようなオリンピック反対派は、恐らく一人もテレビには登場しなかったはずだ。
これは明らかに「歓迎以外は許さない」という言論統制であった。

この調子で、消費税増税、TTP、集団的自衛権行使、憲法改定、何でもござれでニコニコ笑ってキャーキャー騒いで突っ走る気なのだろうか。

しかし、最大のピンチを一瞬でチャンスに変えてしまうのが、世界原子力ムラの真骨頂なのだなぁ。ふう。

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