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生まれて初めて、NHKの朝ドラにハマって5ヶ月目になる。
5年ほど前に久慈市から三陸海岸沿いにドライブをしたことがあり、小袖海岸も知っているところだったし、初めはボーッとテレビを見ていた。
正確に言うと、ウィークデーの朝8時というのは、わたしにとって戦争状態で朝の支度の一番忙しいときなので、実はゆっくりテレビなど見ている暇がない。
第一、朝はテレビ朝日をかけていることが多かった。
ところが何故だかこの春に限って、NHKをかけていた。そこに何やら楽しげなテーマソング。懐かしい東北弁。初めは筋も分からず、急いでいるし、第一眠いし……。
ところが、じぇじぇじぇ。
気がつけば、毎日NHKをつけ放しにしながら朝の支度するようになり、アキちゃんや春ちゃんや夏ばっぱや三陸の人たちが、まるで家族のような気分になっている自分が居て、これが毎日、不思議で不思議でたまらない。
ストーリーは至ってコミカルなドラマで、あり得ない偶然が重なるし、ときどき宮藤官九郎の小ネタが「遊び過ぎ」だったりもするのだが、これが全て許せるし愛おしい。そうそう、それこそが「ハマる」という状況に違いない。
「あまちゃん」人気の理由は、何と言うか社会学的にいくつか理由があると思うのだが、災害社会学的に考えるに、明治・昭和・平成と歴史的にいつも大きな津波災害を背負いながら、リアス式海岸で暮らす人々への応援歌なのかなぁ、と思うことしばし。
あるいは、311前のわたしたちの暮らしとは、かように長閑な暮らしだったか、という懐かしみもあるのかもしれない。
いずれにしても、「あまちゃん」の視聴者は、アキちゃんや春ちゃんや夏ばっぱや三陸の人たちとともに、もう一度これから311を追体験することを、そう、「覚悟」しながら日々を送っている。
クドカンがどんな風に311を描くのか分からないのだが、恐らく視聴者は皆そのことに注目しているし、実は311を直視するのが怖いのだが、クドカンの台本だったら大丈夫のような気がする。アキちゃんや春ちゃんや夏ばっぱや三陸の人たちとともに、自分も乗り超えられる気がする、と。
わたしが災害復興に関わり始めて、かれこれ20年近くになるのだが、災害の話を突き詰めると、結局は実体験をして初めて我がものとなるというか、自分が被災して初めて災害に向き合えるようになるのが人の世だ。
その意味で、事前に災害に対しての想像力をかき集めるということは本当に難しいし、それを伝える事はもっと難しい。これはもしかしたら日本人のDNA由来なのかもしれないが、災いに対しての負の想像力を長く保っていられないし、逆に起こってしまった災いは水に流す的な考え方が根強くある。
ところがどうだろう。「あまちゃん」でクドカンは、そんな日本人のDNAをいとも簡単に、柔らかく崩してしまったのだ。
で、それはそれで、災害社会学的に考えると、ものすごくスゴイことなのだ。アキちゃんや春ちゃんや夏ばっぱや三陸の人たちとなら、これから起こる災害に対して心の準備ができるということなのだから。つまり、この5ヶ月間、わたしたちは皆、負の想像力をもち続けながら、毎朝ドラマを見て生きてきたのだ。
これは災害学や社会学や災害復興学のフィールドで長年研究してきた、名だたる学者や記者たちには、けっして超えることができなかった大きな課題(負の想像力を持続させること)を、「あまちゃん」はいとも簡単に解決してしまったわけで、重ねて言うが、これは本当にすごいことなのだ。
さてと。こういう屁理屈をこねていないで、早くベッドに入らないと、明日の「あまちゃん」を見逃すハメになっちまうぜぃ!
今朝の毎日新聞に掲載されて、Twitter や Facebookでちょっとした話題になっているのが、小泉純一郎さんの「今直ぐ原発止める」という意見だ。この夏、脱原発先進国を訪問し、オンカロなども見てきたそうである。
わたしは総理在任中、小泉さんの言葉に全面的に賛成したり、ましてや心酔したことは一度もなかった。戦争に加担するわ、社会のセイフティーネットは狭くするわ、どこが良いのかさっぱり分からなかった。
歌舞伎座や知人の催しや都内のホテルなどで何度か見かけた時も、彼への声援の秘密がどうしても分からない自分が居た。
しかし、今日の紙面の本文中の
「逆だよ、逆。今ゼロという方針を打ち出さないと将来ゼロにするのは難しいんだよ。野党はみんな原発ゼロに賛成だ。総理が決断すりゃできる。あとは知恵者が知恵を出す」
正直、これには参った。戦後最も親米的宰相にして人気の高かった小泉氏が、「総理が決断すりゃできる」という言葉は、本当に重いひとことだからだ。
このタイミングで原発を止めなくとも、20年後には日本は止めざるを得ないだろう。
それでもたった今、「誰か」が、政官財米学マス界に引導を渡さなくてはならないのなら、もしかしたら小泉さんが適役なのではないだろうか。この人が言い出したら人の意見を聞かないというのは、政官財米学マス界の人々が一番良く知っているはずだから。
わたしは、小泉純一郎さんの意見を全面的に支持します。
原発は今、日本に次の災害が起こる前に、ともかく止めましょう。
「あとは知恵者が知恵を出す」!
—毎日jpより引用——
http://mainichi.jp/journalism/listening/news/20130826org00m010002000c.html
Listening:<風知草>小泉純一郎の「原発ゼロ」=山田孝男
2013年08月26日
脱原発、行って納得、見て確信−−。今月中旬、脱原発のドイツと原発推進のフィンランドを視察した小泉純一郎元首相(71)の感想はそれに尽きる。
三菱重工業、東芝、日立製作所の原発担当幹部とゼネコン幹部、計5人が同行した。道中、ある社の幹部が小泉にささやいた。「あなたは影響力がある。考えを変えて我々の味方になってくれませんか」
小泉が答えた。
「オレの今までの人生経験から言うとね、重要な問題ってのは、10人いて3人が賛成すれば、2人は反対で、後の5人は『どっちでもいい』というようなケースが多いんだよ」
「いま、オレが現役に戻って、態度未定の国会議員を説得するとしてね、『原発は必要』という線でまとめる自信はない。今回いろいろ見て、『原発ゼロ』という方向なら説得できると思ったな。ますますその自信が深まったよ」
3・11以来、折に触れて脱原発を発信してきた自民党の元首相と、原発護持を求める産業界主流の、さりげなく見えて真剣な探り合いの一幕だった。
呉越同舟の旅の伏線は4月、経団連企業トップと小泉が参加したシンポジウムにあった。経営者が口々に原発維持を求めた後、小泉が「ダメだ」と一喝、一座がシュンとなった。
その直後、小泉はフィンランドの核廃棄物最終処分場「オンカロ」見学を思い立つ。自然エネルギーの地産地消が進むドイツも見る旅程。原発関連企業に声をかけると反応がよく、原発に対する賛否を超えた視察団が編成された。
原発は「トイレなきマンション」である。どの国も核廃棄物最終処分場(=トイレ)を造りたいが、危険施設だから引き受け手がない。「オンカロ」は世界で唯一、着工された最終処分場だ。2020年から一部で利用が始まる。
原発の使用済み核燃料を10万年、「オンカロ」の地中深く保管して毒性を抜くという。人類史上、それほどの歳月に耐えた構造物は存在しない。10万年どころか、100年後の地球と人類のありようさえ想像を超えるのに、現在の知識と技術で超危険物を埋めることが許されるのか。
帰国した小泉に感想を聞く機会があった。
−−どう見ました?
「10万年だよ。300年後に考える(見直す)っていうんだけど、みんな死んでるよ。日本の場合、そもそも捨て場所がない。原発ゼロしかないよ」
−−今すぐゼロは暴論という声が優勢ですが。
「逆だよ、逆。今ゼロという方針を打ち出さないと将来ゼロにするのは難しいんだよ。野党はみんな原発ゼロに賛成だ。総理が決断すりゃできる。あとは知恵者が知恵を出す」
「戦はシンガリ(退却軍の最後尾で敵の追撃を防ぐ部隊)がいちばん難しいんだよ。撤退が」
「昭和の戦争だって、満州(中国東北部)から撤退すればいいのに、できなかった。『原発を失ったら経済成長できない』と経済界は言うけど、そんなことないね。昔も『満州は日本の生命線』と言ったけど、満州を失ったって日本は発展したじゃないか」
「必要は発明の母って言うだろ? 敗戦、石油ショック、東日本大震災。ピンチはチャンス。自然を資源にする循環型社会を、日本がつくりゃいい」
もとより脱原発の私は小気味よく聞いた。原発護持派は、小泉節といえども受け入れまい。5割の態度未定者にこそ知っていただきたいと思う。(敬称略)<題字・絵、五十嵐晃>(毎週月曜日に掲載)