ドクター青木のぞうさん日記

makenaizone主宰の青木正美が、自分の生活の中でできるボランティアとは何かを考え、実行してみよう、そんな四方山話を綴ります。
Dr Aoki's Prescription...

2013.8.14

2013年8月14日 水曜日

今日はやや堅い会合。難い、というべきか。
それぞれの分野は全く違うのだが、専門家4人の会合となった。

そこで改めて思ったのだが、それぞれが培ってきた経験や勘どころや考察力というものは、ものすごい説得力を持って心にスーっと入ってくるものなのだなぁ、と。

今回の案件は、例えばわたしにとっては大変困難で、考える力も萎えるほどのモノであったのに、その専門家から見れば絶望するに値しないものだということが分かった。

例えばこんな事はないだろうか。虫歯が痛かったとする。ものすごく放っておいたら虫歯が悪化して、でも痛みを我慢していたら、顔まで腫れてしまって仕方なく歯医者さんに行った。ものすごく大事な虫歯かと思っていたら、意外に3回ほどでケロリと治ってしまった……と。

ものすごく簡単ではないものの、わたしの場合は自分が予想していたよりも、道は険しくはなさそうだ。

翻って、福島原発の状況はどうなのだろうか。国会も閉鎖され、お盆休み、けれども汚染水との闘いは待ったなしで続いている今、もっともっとわたしたちが知恵を出し合って、つまりALL JAPANでも足りないだろうから世界中の英知を集めて、挑んでゆかなくてはならないのでないだろうか。

それと、今は地下水の汚染そのものに目が向き過ぎている状況が、ちょっと怖い気がする。もっともっと、他にも重大な問題点が山積しているだろう。

まずは、餅は餅屋なのだ。いい餅屋の知恵を入れようではないか、福島に!
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2013.8.13

2013年8月13日 火曜日

また今年も8月13日がやってきた。

2011年8月13日、わたしたちmakenaizoneのメンバーは、仙台の大崎八幡宮での復興イベントのステージに立っていた。
makenaizoneとは、阪神淡路大震災の仮設住宅で生まれた、ぞうの形をした壁掛けタオルを世界中の方々にご紹介する、「まけないぞうの応援団」だ。
神戸の「被災地NGO恊働センター」の村井雅清氏が17年間、まけないぞうを被災地支援として活動してきた。
311後に東日本大震災の被災地でまけないぞうを作り始める為に、当時オーストリア在住だった(現在はアイルランド在住)田中幸子編集長をはじめとして、宮田まゆみさんや若林まみさんなどのメンバーが『雅楽の夕に、』とトークイベントのために、あの日仙台の大崎八幡宮に集まった。
そうして、まけないぞうも300頭、仙台の方々にお買い上げ頂いた。

今年で『雅楽の夕に、』も第3回目を迎えることになった。
雅楽とともに、今年も仙台の皆様の元にまけないぞうが旅だっていったことだろう。
宮田まゆみさん、宮司さまをはじめ関係者の皆様に心から感謝するとともに、これからの東日本の復興へ向けても、引き続きまけないぞうへの応援のほど、宜しくお願い申し上げます。

                            makenaizone主宰 青木正美

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2013.8.12

2013年8月12日 月曜日

2013年8月12日 8:00 30℃
8:12


2013.8.11

2013年8月11日 日曜日

午後から『反原発へのいやがらせの歴史展』@新宿区立区民ギャラリーに行ってきた。
先日ウクライナ旅行でご一緒した、海渡雄一弁護士と中川亮弁護士の企画展だ。
14時からはトークセッションが行われ、大変興味深いお話を伺った。

1980年の後半から2000年頃まで、凄まじい「いやがらせ」が行われていたという。
ま、小さい妨害というか圧力というか、そんなものは色々な言論人には当然及んでいると思うのだが、所謂一般の人々に対して行われていた「いやがらせ」の多かったことに改めて不思議な感慨が湧いてきた。

たかが原発の為に、いくら社命であったとしても、他者に対していい大人が、いやがらせをするなんて……。

確かに、この国が発展し行く時期に、原子力を取り入れてしまったのは事実だ。
原子力を取り入れた所では、否、たとえ原子力でなくとも国策を推進する側と、それに相対して結果的に反対に立つ側が生まれてしまうのは想像に難くない。そこで対立が生まれてしまうし、第三の対立構造を積極的に作って反対勢力を分断してゆくことも多々あったのだろう。そうしながら、この国は工業化を進めてゆく他なかったのかもしれない。

しかしスリーマイル島事故、チェルノブイリ事故があって、福島第一の事故が起こってしまったのも厳粛なる事実なのだ。殊に福島第一原発事故は、発生から29ヶ月になったが、すでに取り返しのつかない被害規模になってしまってもいることは事実なのだ。

原子力はいかなる使い道でも、やはり人類には制御できないものであったのだ。それを新しい未来のエネルギーとしたことが、間違っていたのではなかったか。
もうそろそろ、3つの大きな事故から人類は学び始めているのではないか。

人類は、いつの時代でも壮大なる間違いを犯してきたし、これからもそうなのだろう。けれども、間違いだと知りつつ、前に進んでゆくのは良くないではないか。
で、もう充分だ。これだけの犠牲を出してまでも、原子力を進めてゆくことにどんな未来が待っているのだろうか。

それよりも、南海トラフのプレートが動く前の、内陸の活断層が割れる前に、南関東・名古屋圏・関西圏の被害を最小限化するために、少なくとも浜岡原発。若狭湾の原発郡、伊方原発の燃料プールにある燃料棒の安全化を早急に考えようではないか。

「再稼働反対」「賛成」などという311前のパラダイムに縛られて、この国を救う大きな契機を見失ってならない。
第一線から退かれた「元原子力ムラ」のみなさま、どうか夢から目を醒まして現実を見てください。そうしてImagineしてみて下さい。

まだまだ険しいけれども、もしかしたら私たちにはまだ何とか最後の道が残されているかもしれない。ご一緒に、その細くて曲がりくねった厳しい道を、行こうではありませんか……海渡弁護士のいつもの優しい語り口を聞きながら、祈るような気持ちになった夕立の日曜日だった。

追伸 トークセッションの後半、山本太郎さんが10円ハゲを引っさげて、会場へ。約1年ぶりの再会だ。元気そうで何より安心した。

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2013.8.10

2013年8月10日 土曜日

今日から盆休みの人が多いのか、東京駅がごった返している。
人に会うために軽井沢へ日帰り。
軽井沢の暑いこと暑いこと。
しかし夜の新幹線で東京駅に着いてみると、東京の暑さといったら……。

22:00 31℃ 嗚呼。
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