実はさっきから、少し鼻の付け根がじ〜んとしている。
この連休にmakenaizoneの中心メンバーの一人、Mamiさんが岩手県の遠野に入っている。
遠野市には、三陸各地への支援の中核となっている「遠野まごころネット」がある。
ここに居る被災地NGO恊働センターの増島智子さんを、彼女は尋ねて行った。まけないぞうの作り手さんの方々の所を一緒に回る予定だ。
2011年3月11日から暫くの間、わたしは自分自身の心の軸足を亡くしていた。
これから先、どうすればいいのか皆目見当がつかない心細い日々を送っていた。
東海地震に因る浜岡原発の原発震災について、あれほど声を上げていたのに、いざ本当の原発事故が起こったら被災地には何も支援がかなわなかった。
被災地に行くことでさえ、できない事故となってしまった。三陸もまだまだ自分にとって遠い場所だった。
それは2011年の5月のこと。あるとき、被災地NGO恊働センターの村井雅清さんから汚い段ボール箱が届いた。彼は関西学院大学の研究会で一緒に活動している仲間だ。
クリニックの待合室のソファーの上で段ボール箱を開けてみると、果たしてその中には20頭のカラフルなまけないぞうが入っていた。
すると周囲の患者さんから歓声が上がった。
待合室は、ちょっとしたお祭り気分に包まれた。
まけないぞうは、すぐに患者さんたちの心を捉えて引っ張りだこになった。
被災地に手伝いには行けないが、まけないぞうの作り手さんである被災者の方々を、遠くからでも確実にサポートすることができる。そこが何よりも東京で暮らす人々の心をガッチリと捉え共感を生んだのだった。
殊に、青木クリニックの患者さんは痛みのある方ばかりなのだ。被災地に手伝いに行きたくとも行けないのだが、被災地の人々の痛みに思いを寄せることができる。どんなに辛いかと思いを馳せることができる人たちだ。
そこで患者さんたちの中から、まけないぞうを沢山販売して応援しようという声が上がったのだった。
しかしクリニックの院長としては、迷いが無かったといえば嘘になる。大いに迷った。
自分のボランティア活動に非常時とはいえ、自分の患者さんを巻き込むのは、決していいことではないのではないか……。
もしかしたら、もう少し小さな規模の震災であったら、わたしはきっとmakenaizoneを立ち上げることはしなかっただろう。しかしM9の地震に見舞われたこの国で、図らずも自分以外にも被災地の役に立ちたいと思っている方々が、こんな近くにこんなに大勢居られることがわかったのだ。たとえそれが我がクライアントであれ、その力を集めて少しでも被災地のお役に立てなければならないのではないだろうか。
そんな思いに駆られていた丁度そのとき、オーストリアから一時帰国をしていた幼なじみの田中幸子が背中を押してくれ、その週のうちにmakenaizoneという名前が決まり、すると即ロゴを作ってくれる人やHPの制作を引き受けてくれる人が出てきて、田中が日仏英の3カ国語で作るHPの編集長も引き受けてくれることになり、あれよあれよという間にまけないぞうが皆をつないでいったのだった。
あれから丸2年が経った。
今では、被災地NGOのボランティアさんを通して作り手さんである被災者の方々と、どんどん意見の交換や情報の交換ができるようになり、一緒にイベントなども企画するようになってきている。
また、まけないぞうは文字通り世界中に発信され、色々な国の人々がmade in Tohoku のまけないぞうを求めて広げてくださっている。
そうした中でmakenaizoneの一番始めからのメンバーであり、わたしの患者歴15年になるmamiさんが、漸く岩手の作り手さんの所に行くことが叶ったのだった。
彼女はここ数年、本当に色々のことがあって何度か心も折れそうになったのだが、まけないぞうに出会ってからというもの心底ぞうさんに惚れ込んで、どこに行くにもまけないぞうを持ち歩き、沢山の方々に紹介しておられる。本当にこの震災でまけないぞうとの出会いが彼女を大きく変えたのだった。
今では素晴らしいまけないぞうの伝道師として、とても立派なボランティアになられたのだった。
まけないぞうは、タオルを集める人、タオルを仕分けて被災地に送る人、タオルを被災者に届け、まけないぞうを被災者に広める人、作られたまけないぞうを回収する人、被災地からまけないぞうを神戸の本部に送る人、本部で全国のオーダーに対して発送する人。そうして、まけないぞうを買って下さる人々が居て、初めてこのボランティアのタスクが完成する。
だからこそmamiさんは、どうしてもまけないぞうの誕生する場面を自分の目で見たかったという。作り手さんとの交流をとても望んでいたのだ。
果たして、今回mamiさんは、この2年間どこに行くのも肌身離さずまけないぞうを持ち歩いて、旅行や行事などでで撮り貯めたデジカメのまけないぞうの写真を、わざわざ紙に焼いて小さなアルバムを作り、それを東北の作り手さんに見てもらいながら作り手さんを労っている姿が、先ほど彼女のFacebookにUPされているのを見てからというもの、本当にmakenaizoneをやってきて良かったなぁと、しみじみ思って鼻のつけねがツンツンしている連休最後の夜なのである。