2013年05月


2013.5.6

2013年5月6日 月曜日

実はさっきから、少し鼻の付け根がじ〜んとしている。
この連休にmakenaizoneの中心メンバーの一人、Mamiさんが岩手県の遠野に入っている。
遠野市には、三陸各地への支援の中核となっている「遠野まごころネット」がある。
ここに居る被災地NGO恊働センターの増島智子さんを、彼女は尋ねて行った。まけないぞうの作り手さんの方々の所を一緒に回る予定だ。

2011年3月11日から暫くの間、わたしは自分自身の心の軸足を亡くしていた。
これから先、どうすればいいのか皆目見当がつかない心細い日々を送っていた。
東海地震に因る浜岡原発の原発震災について、あれほど声を上げていたのに、いざ本当の原発事故が起こったら被災地には何も支援がかなわなかった。
被災地に行くことでさえ、できない事故となってしまった。三陸もまだまだ自分にとって遠い場所だった。

それは2011年の5月のこと。あるとき、被災地NGO恊働センターの村井雅清さんから汚い段ボール箱が届いた。彼は関西学院大学の研究会で一緒に活動している仲間だ。
クリニックの待合室のソファーの上で段ボール箱を開けてみると、果たしてその中には20頭のカラフルなまけないぞうが入っていた。
すると周囲の患者さんから歓声が上がった。
待合室は、ちょっとしたお祭り気分に包まれた。

まけないぞうは、すぐに患者さんたちの心を捉えて引っ張りだこになった。
被災地に手伝いには行けないが、まけないぞうの作り手さんである被災者の方々を、遠くからでも確実にサポートすることができる。そこが何よりも東京で暮らす人々の心をガッチリと捉え共感を生んだのだった。
殊に、青木クリニックの患者さんは痛みのある方ばかりなのだ。被災地に手伝いに行きたくとも行けないのだが、被災地の人々の痛みに思いを寄せることができる。どんなに辛いかと思いを馳せることができる人たちだ。

そこで患者さんたちの中から、まけないぞうを沢山販売して応援しようという声が上がったのだった。
しかしクリニックの院長としては、迷いが無かったといえば嘘になる。大いに迷った。
自分のボランティア活動に非常時とはいえ、自分の患者さんを巻き込むのは、決していいことではないのではないか……。
もしかしたら、もう少し小さな規模の震災であったら、わたしはきっとmakenaizoneを立ち上げることはしなかっただろう。しかしM9の地震に見舞われたこの国で、図らずも自分以外にも被災地の役に立ちたいと思っている方々が、こんな近くにこんなに大勢居られることがわかったのだ。たとえそれが我がクライアントであれ、その力を集めて少しでも被災地のお役に立てなければならないのではないだろうか。
そんな思いに駆られていた丁度そのとき、オーストリアから一時帰国をしていた幼なじみの田中幸子が背中を押してくれ、その週のうちにmakenaizoneという名前が決まり、すると即ロゴを作ってくれる人やHPの制作を引き受けてくれる人が出てきて、田中が日仏英の3カ国語で作るHPの編集長も引き受けてくれることになり、あれよあれよという間にまけないぞうが皆をつないでいったのだった。

あれから丸2年が経った。
今では、被災地NGOのボランティアさんを通して作り手さんである被災者の方々と、どんどん意見の交換や情報の交換ができるようになり、一緒にイベントなども企画するようになってきている。
また、まけないぞうは文字通り世界中に発信され、色々な国の人々がmade in Tohoku のまけないぞうを求めて広げてくださっている。

そうした中でmakenaizoneの一番始めからのメンバーであり、わたしの患者歴15年になるmamiさんが、漸く岩手の作り手さんの所に行くことが叶ったのだった。
彼女はここ数年、本当に色々のことがあって何度か心も折れそうになったのだが、まけないぞうに出会ってからというもの心底ぞうさんに惚れ込んで、どこに行くにもまけないぞうを持ち歩き、沢山の方々に紹介しておられる。本当にこの震災でまけないぞうとの出会いが彼女を大きく変えたのだった。
今では素晴らしいまけないぞうの伝道師として、とても立派なボランティアになられたのだった。

まけないぞうは、タオルを集める人、タオルを仕分けて被災地に送る人、タオルを被災者に届け、まけないぞうを被災者に広める人、作られたまけないぞうを回収する人、被災地からまけないぞうを神戸の本部に送る人、本部で全国のオーダーに対して発送する人。そうして、まけないぞうを買って下さる人々が居て、初めてこのボランティアのタスクが完成する。

だからこそmamiさんは、どうしてもまけないぞうの誕生する場面を自分の目で見たかったという。作り手さんとの交流をとても望んでいたのだ。
果たして、今回mamiさんは、この2年間どこに行くのも肌身離さずまけないぞうを持ち歩いて、旅行や行事などでで撮り貯めたデジカメのまけないぞうの写真を、わざわざ紙に焼いて小さなアルバムを作り、それを東北の作り手さんに見てもらいながら作り手さんを労っている姿が、先ほど彼女のFacebookにUPされているのを見てからというもの、本当にmakenaizoneをやってきて良かったなぁと、しみじみ思って鼻のつけねがツンツンしている連休最後の夜なのである。

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GW東北生まれの「まけないぞう」といっしょに 作り手さんに会いに行ってきます!Now heading to Tohno, where my Makenaizo Elephants were born!  

2013年5月5日 日曜日

【子どもの日 5月5日 makenaizoneの若林まみより今朝届いた写真です。新幹線で岩手へ向かっています。】
最近 体調が改善し、仕事休みのとれたGW後半 ずっと行きたいと願っていた「作り手さん」訪問に出かけることにしました。遠野に向かっています!東北 生まれの我が家のまけないぞうさん達も一緒にお里帰りです!\(^o^)/
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行ってらっしゃーい まみさん☆
作り手さんに世界のまけないぞうサポー ターたちからの気持ちを伝えてきてくださいね♪ makenaizone facebook editor Mami Wakabayashi is on way to Iwate in the north of Japan to see Makenaizo Elephants Makers! ’Now heading to Tohno, lwate Prefecture where these Makenaizo Elephants were born!’


まみさんの笑顔に、New Yorkのたえこさんから声援が届きました。
たえこさん
「皆さんに宜しくね~いい旅を★」
まみ
「たえこさん、あ りがとうございます! 実は今回の旅のために、今までずっといろいろな場所で撮りためていたまけないぞうさんとそのサポーターさんの写真を一冊のアルバムに纏 めて持ってきて、ぞうさんの作り手さんに日本中、世界中に広がるまけないぞうさんの支援の輪(和)についてもご説明しているのですが、そのお写真の中に東 京銀座でまけないぞうさんを売ってくださったTaecoさんとぞうさんと私のショットも入れさせていただいておりまして、Taecoさんのことも作り手の みなさんにご紹介させていただきましたよ~♪♪」
たえこさん
「それはとってもいいアイデアね。まけないぞうさんが、こうして地球を一周して、どんどん縁がつながっていくのが、そのアルバムでお見せできるわね。どうもありがとう!!」
***

地球規模で広がる「まけないぞう」の輪・・・ 大切につなぎますよ〜!  まみさんの旅は続きます・・・

 


2013.5.5

立夏五句
風薫る旅行鞄の青さかな
立夏来て旅の支度のうろめけり
青嵐鍵のいずこやもう知らぬ
荷作りのチェックシートや今朝の夏
薫る風吹くウクライナ遠いまち
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2013.5.4

2013年5月4日 土曜日

ゴールデンウィークの後半、真っただ中の土曜日。珍しくずっと東京に居る連休だ。
ともかくメッチャ、ウダウダしてしまっている。こういう時には必ず昼夜逆転になる。

而して来週からのウクライナ旅行のための荷造りをしなくてはならない。
それで、先週のことスーツケースを取り出してみると、果たしてスーツケースが開かない!取っ手に付けてあった鍵もない!じぇじぇじぇじぇじぇ!玉汗が滴り落ちる……。
何で開かないんだ?いやいや待てよ、2009年の夏に購入したものだから、鍵は鍵置き場に必ずあるはずだ。ところが現実は厳しく、探せども探せどもドツボに嵌り……。

スーツケースが開かないのは本当に参った。しかし、まだ新しいのに買うのもトホホなので、第一、もしかしたら奇跡が起こるかもしれないし……。で、今回は借りることにした。
インターネットで特大サイズをダスキンにオーダーしたのが、本日とてもキレイなブルーのスーツケースが到着した。
やれやれ。これでハード的にはひと安心なのだが、このあと超苦手の荷造りが待っているのだ。
旅行に慣れている人とそうでない人が一番違うのが、荷造りだろう。
考えるだけでも面倒くさい青木のようなのは、旅行好きにはなれそうもない。ま、行ったら行ったで楽しいのだが……。

というわけで、要るものを書き出しているウダウダの土曜日なのだが、こんな事で果たしてウクライナに到着できるのだろうかなぁ。
明日は立夏だ。
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2013.5.3

2013年5月3日 金曜日

今年ぐらい、憲法改定論議が熱を帯びている時期もそうはない。
この政権は、まず96条から変えようとしているのだが、そこで2050年の人口ピラミッドを見てみよう。これは2010年の国勢調査を基に予想されたピラミッドだ。
なので震災の影響が反映されていない。実際にはもう少しヒョロリとした形になっているかもしれない。

ともあれ、もしも96条がスルリと変わってしまえば、この万年筆のペン先のような日本という国は、1%の軍産複合体から利益を得るアベノミクス族と99%の名もなき奴隷族にキッパリと分離してしまうことだろう。そうしてこのままズルズルと尻窄みになって急激に人口は減ってゆくことだろう。

大震災時代を迎えているこの国で、災害よりももっともっと恐いものがあるとすれば、この国の将来も見据えずに何の議論もせずに、96条を変え更には9条を変え、自民党の憲法案に沿っていってしまうことなのではないだろうか。基本的人権も何もないひたすら為政者に都合の良い憲法になってしまいやしないだろうか。

そう。地震は止める事ができないが、平和憲法を守る事ができるし、因って戦争は止めることができるはずなのだ。大いなる疑問と不安感とほんの少しの正義感があれば。
私たち日本人はたった今、一人ひとりが歴史的に大きく試されているのだということを、ひしひしと感じる憲法記念日なのである。

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憲法日守れ九十九条ぞ
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2013.5.2

2013年5月2日 木曜日

明日は憲法記念日。
憲法を変えたい人々のうごめきが、日々伝えられてくる。

何か大きな時代の流れが出て来た時、わたしは必ず人口ピラミッドを見てみることにしている。
じっくりじっくり、穴があくほど見てみる。

これは1950年の日本の人口ピラミッドだ。
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2000年には下図のようになった。
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この国の変化を人口ピラミッドが饒舌に語りかけてくる。
この五十年、日本は高度成長期を終え、急速な高齢社会を迎えている。
一方で、この間ただの一人も戦死者を出していないのだ。
とにもかくにも、憲法改定よりも何よりも、もっともっと優先順位が高い事があることを人口ピラミッドは如実に示しているではないか。

わたしは憲法改定に反対である。

引用 総務省 統計局HP 2010年国勢調査


2013.5.1

2013年5月1日 水曜日

夏隣注射の怒濤極めけり
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