水曜日は当日〆切の原稿を書きながら一日が終わってしまった。
まだ、もう一本あるが、それを持ったまま今からドライブへ。
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午前中は銀座の内科クリニックで健診のために友人を訪ね、院長も交えて原発論議を。
私たち医師には、心の底から何かしなくてはならないという意識があるのだが、どうして良いか分からないというのが事実でもある。
それでも、こうして医者3人がこれからの日本の現実について、少しでも話し合うことがとても大切なことなのだと思う。
さて、水害が深刻だ。
東京も夜になって雨が降って、これから長距離のドライブをしようと思っていたのだが、ちょっとためらう夜だ。
自然が相手ではどうしようもない話なのだが、山の自然の治水能力を遥かに超える雨が降るようになったのは、なぜなのだろうか。
何百年に一度であっても、やはり私たちは備えなくてはならないのだ。
最後に。
今夜の『報道ステーション』に新潟県の泉田知事が出演していた。
「新潟には福島からの避難者が5000人も居て、ほとんど二束三文の賠償金で見捨てられ、自分たちの人生を全て捨てなくてはならない事態になっている。こんな事が二度と起きてはならない」、と。
本当にその通りだ。元々、今の柏崎刈羽原発のある刈羽村は沼地で、稲作に適していなかった土地だ。そこに持ち上がったのが、原発の誘致。田中角栄が誘致に一役買って、4億円の見返りを得て、それを秘書2人が運んだのは余りにも有名な話だが。
なぜ、稲作に適さなかったかというと、塩分と砂を含んだ沼地であったと聞いた覚えがある。そんな所に、原発を建ててしまったのが日本の高度成長期の悲しい歴史なのだ。
福島第一原発事故の原因をしっかり総括した上で、柏崎刈羽はどうなのか議論を尽くして、百万が一にでも事故があった時に、行政はどう対処できるのかという観点から再稼働はNOであると主張する泉田知事の姿勢は真っ当そのものである。
山口県に降った雨が観測史上初めての大雨となったこの日本で、これ以上のリスクを抱え込んでゆくのは余りにも無理な話ではなかろうか。
何年ぶりだろうか。東京タワーに登ってきた。
テレビの電波塔の役目をスカイツリーに譲り、今はペンキの塗り替えで足場が立っている。
地上150mの大展望台に登って、改めてぐるり360°回ってみたが、ベイサイドの方向の風景がガラリと変わっている。
高いビルも林立していて、まさに「大東京」だ。
災害復興的な観点から考えると、どうやって仮設住宅を確保するのか、その前に水、その前に遺体。高線量放射線が西風に乗って浜岡からくれば、どうするのだ。
間もなく、次の大震災の想定が中央防災会議から発表される。
しかし、あくまでもその想定には、浜岡原発は入っていない。
第5号機の燃料プールだけでも、空にしようよ。
この細やかだが、切実なわたしのリクエストは、一体全体どこの誰に伝えれば実現するのだろう。
外国人観光客でごった返す東京タワーから、沈む夕日に向かって吠えてみた。
いつもの自宅マンションの北側エレベーターホールから、19時ちょうどに花火があがった。隅田川花火大会だ。
直線でも最低3kmほどだし、いつもは音など聴こえない。
なのに、今宵はバンバン音が聞こえる。
あらら、これは何だ?
空が白い。稲妻だ、と思っているうちにスカイツリーはみるみる霞んでいった。
ゲリラ豪雨だ。途中で花火も中止になったらしい。
ところで、最近、福島第一原発周辺に地震が多発している。
3号機辺りから、湯気のような煙が上がっている。
いつも思うのだが、この事故がもしも米・英・仏・独などで起きていたらどうだったのだろう。現にドイツでもイタリアでもアメリカでさえ、原発から撤退することが決まっているのだ。
震災から2年半経って、私たちには「馴れ」が出てきてやいまいか。
本当なら、花火なんかやっていないで、というか花火がゲリラ豪雨で中止になったニュースを大々的にやっていないで、原発の是非を国民的に議論してゆかなくてはならないとわたしは思うのだ。
【まけないぞうサポーターのChikakoさんからのお
神奈川県在住のChikakoさんが心温まるメッ
『こちらは「
可愛しいし、タオル地で赤ちゃんが舐めても安心な
人の痛みが分かる優しい子になってくれればい
—-Chikakoさん
まけないぞうプ
これからも末永く宜しくお願い致します。いっぱいの感
—
【Makenaizo Message from Chikako-san in Kanagawa Prefecture】
Since Chikako-san has kindly posted her heartfelt message & the cute pictures of Makenaizo on her own FB Timeline, we’d like to share her post on makenaizone FB page, too!
“These are Makenaizo which are cute elephant-shaped hanging towels made by the affected people by the big earthquake. This elephant was born in Kobe back in 1995, and this wonderful project has been relayed from Kobe to Tohoku for the past 18 years so as to create the job and the motivation in life of the people in devastated area, and now many people in Tohoku area are making Makenaizo, being encouraged by this project and trying to step forward in the post 311 days. Actually I met Makenaizo through one of my friends, and I got so touched by the background of Makenaizo, and I myself decided to buy these elephants so as to be of any help for the sufferers of the earthquake & tsunami. The elephants that arrived at my house are made in Ishinomaki, Rikuzentakada and Ofunato. This elephant made by towel is very baby-friendly, good as a toy for my daughter, and she enjoys playing with it so much! Even though my daughter is too small to understand the story of Makenaizo now, however I’d like to tell her about 311 & Makenaizo when she gets older, and I hope that she would be the girl who is considerate for those who are trying so hard to step forward in the difficult situation, and I am praying that the recovery efforts will make much more progress by the time my baby becomes a teenager.“
— Lots of thanks to Chikako-san for her very warm thoughts, and we are totally sure that her heartfelt wishes and the strength never to give up will be succeeded to her daughter going forward.
We are looking forward to her continued support for Makenaizo Project!
いつもそうなのだが、長い休みに入る前は、目の回るような切った張ったの外来になる。
患者さんの不安も大きくなってしまうし、仕方がないことなのだが。
しかも、今年は5月にウクライナに行ったので、例年よりも大幅に休診日が多くなってしまった。
帰国後も原稿の〆切がバタバタ重なって、ともかく目まぐるしい2013年の前半だった。
この辺りで、少しリフレッシュしないとマズい……そんな心の声がある。
という訳で、この夏はいつもよりも少し前倒しで夏期休暇を取る事にした。
とはいえ、要フォローのクライアント数名、長い原稿2つと諸々の校正と、なんやかんやの雑事を抱えての夏休みだけれども。
ささやかなる目標は、ドライブで東京脱出。
まずは、ソファーで寝落ちする生活から解放されることなんだけれども。
参議院選が終わったら、TEPCOが汚染水が海に流出していることを正式に認めた。
いや、99.9999999999999%漏れているに決まっていたのだが、こんな姑息的な選挙用の発表に関して、怒る福島県の漁協などは重々理解できるのだけれども、文句ばかり言っていても仕方がない。
今から何ができるのか?
わたしは痛みの医者なのだか、痛みをため込んでため込んで、仕方なくどうしようもなく悪化してしまった、そんな患者さんを診る機会が多々ある。
そんな場合、大抵患者さんは困り果ててくたびれ果てて、わたしの所にやって来られる。
医者に怒られるかもしれないと、すごくビビりながら、でも縋るように、痛みでうな垂れながらやってこられるのだ。
そんな患者さんを、心から怒れる医者などいないはずだ。
少なくとも、わたしは出来る限りを尽くそうと思うのだ。
何を言いたいのかというと、TEPCOは困り果ててはいないのだろうか?
野田政権もアテになどできなかったが、アベノミクスは更に「事故など無かったことにしちゃった」感がアリアリで、誰も頼るわけにはいかず、かといってどうすればいいのかもわからず、下手にバンザイすれば環境を護ることには少し寄与するかもしれないが、後ろから斧が飛んでくるのは必至で、とても言い出せやしない……いまTOPCOでは、そんな事になってやしないのだろうか。そう、まるでわたしの患者さんのように。
わたしは思うのだ。もうここまで来たら、TEPCO単独でこの急場を乗り切る事は不可能に違いない。
この土木や原子工学にド素人のわたしですら、明らかに理解できることなのに、なぜマスコミを始め、国会も、アカデミズムも、言論人も揃いも揃ってダンマリなのだろうか?
みんな座して死を迎えれば良いとでもいうのか?
海への流出、地下水脈への影響、どうすれは止められるのか、直ちに力を貸してもらえるように、世界中の英知を結集してもらえるような環境を整えようではないか。
これを読んだら、どの国の人々も、力を貸してください。
日本の政府にもTEPCOにも実はアレバにも、もう知恵も気力も無くなっているんです。
どうか、地球の環境を護るためにも、わたしたちに力を貸してくれませんか。
心より心よりお願いします。
23日は遅くまで残業。
今週末から、夏休みを取る予定。
いつもはお盆に取るのだが、今年はさすがに疲れ果てて、お盆まで待てなかった。
で、溜まりに溜まっていた診断書や介護保険の主治医意見書などなど、書類の山と格闘して、近所のラーメンやさんで今年初めての冷やし中華を食して帰宅した。
帰宅後、今まで考えてきたことをFacebookで聞いてみた。
「三宅洋平ってスゴクねぇ?」
果たして、みんな話に乗ってきた。それも皆、政治に興味を持っているいい大人たちが賛同してくれた。洋平が良いと思っていたのは、勘違いじゃなかったんだ……本当に嬉しかった。
実は、7月18日頃から、洋平が気になって気になって仕方なかったのだ。
で、Youtubeで洋平の選挙フェスなるものを3日間見まくった。約1時間のフェスを6〜7本見ただろうか。もう、それが全部良かった。
荒削りなところもあるのだが、まずはキラキラした命への感受性としっかりした哲学がある。
311後に沖縄に「逃げた」ことを公言する。
軍事産業での利権に真っ向からNOといいつつ、でも誰も傷つかない一人も落伍者の出ないように産業転換をしてゆこうと、してゆけると言う。
一滴も血を流さない滑らかな革命を、と。
しかも最後の歌がまたいい。
本当に参院選の候補者なのかと思うほどなのだ。
いや、今まで彼のような事を公言してきた「文化人さま」は大勢居る。
でも、洋平は公言しつつ打って出もしている訳で、ある意味、汚い世界に飛び込もうとしている。
ただ、わたしは思うのだ。
洋平は、これからのこの国にとって、間違いなく希望の光になる逸材だ。
どこから出てきたのか知らないのだが、でもって選挙には負けてしまったが、彼はこれまで通り、自由に話し歌い旅をして欲しい。政治の世界の手垢にまみれないで欲しいのだ。そうして3年後に必ず戻ってきて欲しい。
次のカタストロフィーが起こった後には、洋平のようなリーダーが必要なのだ。
するとこの選挙結果への落胆の気持ちが収まって、少しワクワクしてきたのだ。
洋平、ありがとなし!
今日は朝から、意気消沈していた。
そう、もちろん、この選挙結果にだ。
午前中11時ごろ、大先輩の中央区の内科開業医 Mドクターが治療に見えた。
「あら、元気出しなさいよ。太郎ちゃんが勝ったじゃない。希望はつながったわよ」
そう言って、わたしの肩をトントンと叩いて、彼女は去っていかれた。
昼12時丁度。今度は文京区の耳鼻科開業医のN ドクターから電話があった。
「山本太郎さん、良かったわね。しっかり応援しましょうね。これで希望が出てきたわよ」
夕方、やはり大先輩の中野の婦人科開業医の Nドクターから電話。
「やったわね。元気だして、希望をもっていきましょうよ!65万票も取ったのよ」
この3人の先輩ドクターは、全員70代半ばの女性だ。
わたしがうな垂れていたら、口々に「希望が出た」と。
夜、家に帰ってきて夕食を食べたら、猛烈に眠気が襲ってきた。
目覚めるともう日付が変わる少し前になっていた。
で、この日記を書きながら、ジワジワと先輩方の言葉の実感が湧いてきた。
そうなのだ。こういう沢山の人々の力があって、少しづつ何かが変わってゆくのだろう。
山本太郎を当選させたのは、ネットの力だけでは決してない。
長年、最前線で命と向き合ってきた女性医師たちもまた、彼に希望を見いだしていたのだ。と、そう思ったら、少し元気が出てきた。
よし、「あまちゃん」を観て寝よう!
写真は、まけないぞうと山本太郎氏。2012年6月
朝からユーリ・バンダジェフスキー氏の講演会へ。
色々考えさせられる内容だった。
137セシウムだけでもこれだけのバリエーションがあるのだから、全ての核種に目を向ければどれほどのことになるのだろうか。
まず日本ではストロンチウムを調べなければ……。
会場にはよく知った堀口貞夫医師の姿があった。
堀口雅子医師&貞夫医師の前に出ると、もう殆ど童心にかえってしまう。
お昼のラーメンを食べながら、近況報告をば。
帰りは堀口宅に寄って、少しダベって帰宅。
ギリギリで投票場に。
ま、結果は分かっていたとは言え、やはり落ち込む気分。
というか、自分にはさっぱり理解ができないほどだ。
その中で、太郎さん、ホンマにホンマにようやった。龍平さん、ようきばったな。小池さん、この荒波よう乗り切りはった。
で、残念な人が大杉で、ここに書くことができない。
21日、M4以上をプロットしてみると&この選挙結果。寝られるわけもない。
いきなり憲法が変わる可能性が出てきたらしい。
もちろん、現行憲法もなかなか難しい表現でよく勉強しないと分からない単語があることも確かだ。
でも、自民党の憲法草案のQ&Aには、そもそも現行憲法の解釈ではなくて、意味そのものが違っている所がある。
例えば、21条。
自民党のQ&A集によれば、
現行憲法の「公共の福祉」というのは分かり難いので、もっと分かり易くするために「公益及び公の秩序」に言い換えた、とある。
けれども「公共の福祉」というものの中身には「公益」や「公の秩序」という概念は、そもそもまるっとは入っていないのではないだろうか。
わたしの尊敬する神戸の永井幸寿弁護士に昔教えてもらったのだが、「公共の福祉」とは「他人の人権を守る」ということだ。
するってぇと、「公共の福祉」とは、「公益」や「公の秩序」ではない。
人権は自分にばかりあるものではなく、自分にある人権は必ず他者にもある。とてもシンプルな意味なのだ。何にも難しいことではないので、わざわざ違う意味に言い換える必要はないではないか。
さて、明日は日曜日。選挙の日だ。
【東京のまけないぞうサポーターグループ 「マリア隊」からのお便りです】
7月14日
聖書朗読は「良きサマリア人のたとえ」の日、7月14日に教会で夏休み前最後のまけないぞう販売会をしました。
マリア隊の美枝子さん、和美さんとおしゃべりしながらの楽しい販売会でした。
今回は子ぞうも参加。
ずっと良き隣人として、まけないぞうを応援していきます。
まけないぞうさんの継続的に続けていらっしゃるマリア隊のご活動、本当に素晴らしいです!
『まけないぞうの良き隣人』としてのご活動、心より尊敬します。
皆さまとごいっしょに『良き隣人』として”まけないぞう”の応援を続けて行きたいです。
今後ともどうぞ宜 しくお願いいたします!(^o^)/
皆さんがいてくださるから継続できるのだと思います。さぁ、今日も1日、元気に頑張りましょー!
目の前の子ゾウさんも応援してくれているようです♡
久しぶりの青空。午後から涼しくなった。
21日の投票日が近づいてきた。
憲法問題
原発問題
TPP問題
消費税問題
沖縄問題
どう考えても、最大の焦点はこの5つだろう。
経済問題・景気の話は全てに通底するものだろうが、まずはこの5つだ。
わたしと違う考えの人々、違う選択をする人々にも、同じように自然災害や原発災害が降り注ぐ。だから、違う一票を投じたその候補者を通じて、党の内部から議論を湧き立たせて欲しいのだ。
若いミュージシャンの候補者が言っていた。
とことん議論しようよ、と。彼の言うように、あの党の中にも、原発反対の候補が沢山いるはずだ。そういう人々を柔らかく揺り起こす方法が、きっとあるはず。
相手を正論でギリギリと追いつめているだけではダメなのだ。
何かきっと、いい方法があるはずだ。
その方法が見つかるまで、その糸口が見つかるまで、諦めないで話し合おう。
そう書いてみて、少しだけ勇気が戻ってきた久しぶりの青空の日だ。
2007年7月16日10:13、新潟県中越沖地震が起こった。M6.7なれど柏崎刈羽原発は激しく揺れた。
当初3号機の火災が報じられたが、その後に7号機のヨウ素漏れが伝わってきた。
このとき、もっとしっかりと事故原因を追及していたら、今の情勢が変わっていたのではなかったか、と、時々そう思う事がある。
7号機の立地が特に問題と思われたが、その後不問にふされた。
さて、16日は日本女医会東京都支部の納涼会@椿山荘。
ウクライナの報告会のスライドと少々、現状の話をした。
会場では、富士噴火から南海トラフ地震、原発震災についても質問が起こる。
話しながら、つくづく現状の日本という国の自然災害と原発災害のリスクの大きさを考えた。
結論的には、やっぱ止めましょう、というムードになかなか統一できない雰囲気。
それでも会長の締めの言葉で、お開きになった。
この会は、元々全く政治的な会ではないのだが、やはり選挙の前に未来を考えざるを得ないではないか。
朝からとても暑かった日曜日。
夕方、激しい雨が降った。
そう、今日はフランスの独立記念日だった。パリ祭だ。
日本には、そんな革命を記念した日は、こないだろうなぁ。
元はといえば、アイスランドのラキ山の噴火による大冷害大飢饉がきっかけで、ルイ王朝に貴族までもが反旗を翻したのがフランス革命だ。
まったく同じ時に、同じ北米プレート上の岩木山や浅間山が噴いたのだ、日本でも。しかし、革命などは起きなかったのが江戸天明の大飢饉。
東北や北関東は火山灰で大飢饉が起こり、農民は喰うために無宿人となって江戸で犯罪を重ねた。これを取り締まり、社会復帰をさせたのが長谷川平蔵だった。
フランスでは大飢饉から民衆が立ち上がった。
当方では大飢饉から民を救ったのは、火付盗賊改の役人・鬼平だったのだ。
パリ祭や朝の川面の雲光る