2013.8.19 8:00 31℃
いわき市の鮫川村で焼却炉が稼働する。
なぜここなのか、いわき市の水源があるここに、不意打ちのように焼却炉を作ることにしたのだろうか。
双葉八町村からの避難者の最も多い、ヨウ素の初期被ばくも多かったと言われているいわき市の、そのまた水源である鮫川村に、なぜいま焼却炉が必要なのだろうか。
仮設の焼却炉であるならば尚更のこと、現在の高濃度汚染地域で焼却すれば良いのではないか。なぜ、こんなだまし討ちのような形で、いわきの人々を苦しめる必要があるのだろうか。
こういうテーゼをすると、決まって「この焼却炉は全く問題がない」と細かいデータを上げて反駁される。
しかし、そうした「データへの過信」とも言おうか、数値的に安全か否かという、机上の論争はもうウンザリだ。
「科学者はエビデンスをもって論ぜよ」というサイエンティストの空気は、その最高峰であると自任してきた原子力ムラの空気とどれだけの違いがあるのだろうか。
エビデンスが無い物言いは、まるで存在そのものをあざけ笑うような風潮は、逆にサイエンティストとしての見識を疑われはしないのだろうか。
もっと言えば、これだけの事故があって、予防原則の「勘どころ」が働かない人は、サイエンティストを名乗るに値しないと私は思う。
なぜならば、人の尊厳ある暮らしと幸せを実現するために役立てるに値するのが科学なのだから。どんな分野の科学であってもだ。
つまり科学とは、人を幸せにする、たくさんの道具の一つにしか過ぎやしないのだ。
科学者の端くれであるちっぽけな町医者であるわたしは、だからこそ予防原則に則って、歩いていこうと思う。人が人を幸せにしようと思わないでどうするのだ。これは対岸の火事、自分には関係ないと斜に構えているような、そんな悠長な時代はとっくに終わったのだから。