『原発事故の原因は津波ではない』 日本女医会東京都支部連合会誌49号
昨年10月に元東京電力の福島第一原発の一号機の運転員だった、木村俊雄さんの話を伺う機会があった。
木村さんは2013年6月20日に提出された東京電力(以下、東電)の最終の「福島原子力事故調査書」を見て、最も重要なデーターが公表されておらず従って一考察もされていないことに気がついた。
その重要なデーターとは「過渡現象記録装置」のデーターのことだ。航空機事故でいうフライトレコーダーやボイスレコーダーに当たるもので、それぞれの原子炉に設置されていて、原子炉に異常が起こると同時に、原子炉内の水位・圧力・出力・温度・冷却水の状況などを100分の1秒単位でハードディスクに記録してゆく。
東電はこのデーターの存在を事故後2年以上、公開してこなかった。これでは事故に因る原子炉の状況を評価できるはずもなく、事故原因も特定できるはずがなかった。福島原発事故の事故調査は、東電の他にも「国会事故調査委員会」「政府事故調査委員会」「民間事故調査委員会」「NHKの事故調査」など沢山の事故調査会が発足したが、どの事故調査会のメンバーも「過渡現象記録装置」のデーダーの存在自体を知らなかったため、根本的な事故の原因が追求できていなかったことになる。
木村さんは当初、原子力規制委員会に対し「過渡現象記録装置」のデーターを公表するようにアプローチをしていた。しかし返事が無かったため、次に東電に問い合わせるも梨の礫になっていた。そこで木村さんは昨年7月に自ら記者会見を開いて、公の場で東電に対して情報公開を求めた。そうして何人かのジャーナリストの協力があり、昨年の8月東電の社長記者会見の場で、社長は記者に求められて「過渡現象記録装置」のデーターを出すことを約束した。
一般的に、原発で事故が起こった場合メルトダウンに至った原因を探るとすれば、「過渡現象記録装置」を事細かく時系列で検証してゆけば、かなりの事実が掴めるはずであるという。航空機事故の時のブラックボックスの対処を考えてみれば、直ぐに合点がゆくというものだろう。
麻酔医である私が思うに、手術中の「麻酔チャート」に当たるデーターなのだろうと察しがつく。「麻酔チャート」を見れば、呼吸・血圧・心拍数・体温など全てのバイタルサインを瞬時に見渡す事ができ、患者さんの状況が把握できる。何かトラブルが有った時には、真っ先に検証されるべきデーターである。
そもそも沸騰水型原子炉は、何かトラブルがあって原子炉が止まり冷却水の再循環ポンプが停止したとしても、原子炉の中に満たされた大量の冷却水が炉心で暖められ、炉心から離れれば水は冷えて対流するので、冷却水の流れ自体は決して止まることはない。暖められた水は密度が小さくなるので浮力が生じ、燃料棒の間をすり抜けて下から上へ上がってゆく。上がった水は炉心から遠ざかるにつれて冷やされ、その冷えた水は炉心の両サイドから下に降りてゆく。そうして冷たい水がまた炉心で暖められて上に上がってゆく。この温度差により生じる自然な水の循環による流れは、全電源が消失しようとも原子炉が停止しようとも、決して滞ることがないのである。これを「自然対流」といい、沸騰水型原子炉の最も大きな安全装置そのものなのである。
例えば福島第一原発の一号機の原子炉には100tの冷却水が入っているが、これによりもたらされる「自然対流」は一時間当たり2000tにものぼる。毎時2000tの「自然対流」があれば、燃料がメルトダウンを起こす事はないはずだった。
それでは何故、一号機ではメルトダウンが起こったのだろうか。東京電力は津波により全電源が喪失して原子炉を冷やすことができなくなったからだ、と最終結論を打った。もしも単に電源が消失して、外部から冷却水がストップしたとしても、圧力容器が健全でありさえすれば、「自然対流」が存在する限り、そう簡単には、メルトダウンが起こる事は無いのではないか……。
果たして「過渡現象記録装置」のデーターを解析した木村さんは、地震発生から1分20秒後に一号機の「自然対流」が消失していることを発見したのだった。
津波が来る遥か前に原子炉の水の流れは「自然対流」による下から上にではなく、逆に上から下に向かって流れていることを突き止めたのだった。
これは何を意味するものなのだろうか。地震動に因って圧力容器の下部にある配管が破断して、つまり圧力容器の底に穴が空き、そこから冷却水が漏洩してしまったため、「自然対流」は消失して水は圧力容器の下部に向かって流れ、水位が下がって燃料を冷やすことができなくなり、メルトダウンしまったということを意味するものだった。
少なくとも一号機に関しては、地震後1分20秒後から冷却水の漏洩が起こった為、「自然対流」が損なわれ燃料棒が露出してメルトダウンに至った。それは津波に因る全電源喪失とは無関係であった。
これを実際の時間で見てみると、東日本大震災が起こったのは3月11日14時46分18秒であった。一号機の「自然対流」が止まったのは、14時47分38秒。政府と東電の発表によると福島第一原発に津波が襲来した時刻は、15時35分である。津波到達の約47分も前から、冷却水が漏れて燃料はメルトダウンに向かって冷却水が失われてをいたことになる。政府と東電は、津波により冷却ができなくなったという結論を下しているので、メルトダウンの開始時間(プロットされている放射線量の上昇が津波到来時には既にあった)が運転員の証言と食い違っていたが、木村さんのデーダー解析が出るまで、その裏付けが何も無かったのだった。
このように「過渡現象記録装置」の全データーを丁寧に分析すれば、それはあたかも手術中の「麻酔チャート」が示すように、福島原発という患者さんが、津波に因ってステルベンしたのか地震に因ってステルベンしたのか、導き出す事ができるはずだ。がしかし、政府は今後も「ステルベンの原因は津波である」と言い続けることだろう。
なぜなら、原因が地震であることが証明されれば、日本中にある全ての原発は即刻止めなくてはならなくなるからだ。
2013年12月6日、「特別秘密保護法」が衆参両院で強行採決された。同じ12月6日、政府は新しいエネルギー基本計画で「原発は重要なベース電源」と位置づけることを発表した。これにより政府は今まで通り、津波さえ予防できれば原発は安全であるとの見解をより一層強く打ち出すことだろう。
また、政府は今後全ての「過渡現象記録装置」のデーダーを特定秘密に指定して、一切公開しなくなるだろう。現在も一号機の一部のデーターしか公開されていないのであるが。
私たちの国は残念ながら間もなく、南海トラフ地震を迎えることになる。その時、中部電力浜岡原発には3〜5号機の原子炉にはあわせて2400本の燃料棒があり、3〜5号機の燃料プールには6625本の使用済み燃料棒が存在している。これが地震に因りメルトダウンが起こり、爆発も多発し、高濃度放射線が偏西風に乗りまき散らされれば、首都圏3500万人は逃げ場を失うことになる。また、若狭湾周辺の原発の敷地内には、大きな断層が沢山走っている。そこに、もんじゅを含む13基の原子炉があり、合わせて25000本近い使用済み燃料棒がある。
日本列島は有史以来、常に大地震の危機に曝されてきた。そんなこの国が福島第一原発の「過渡現象記録装置」のデーダーを隠しているという事実は、国家に因る犯罪であり、次の原発事故を防ぐ事が出来なければ、それは近代国家としての日本の終焉を意味すると私は思っている。
この「過渡現象記録装置」を一つ例にとっても、この度の特定秘密法の強行採決には大きな諦念と無力感を私にもたらした。しかし最前線で命を守る医師の端くれとして、私は昨年11月30日に「特定秘密保護法に反対する医師と歯科医師の会」を立ち上げた。大きなリスクを背負ってこの法律に反対表明をした理由は幾つかあるのだが、昨年秋に木村俊雄さんの話を直接聴いたことも、その大きな一因だった。木村敏雄さんの命がけの提言に私の心は大きく揺さぶられたからだ。そうして「反対する医師と歯科医師の会」は立ち上げから短期間にも関わらず、500余筆のご署名を頂いた。今後は各界の反対する会とネットワークを結んでゆく準備を進めている。
多発する自然災害から尊い命を守るために、これと逆行する情報隠蔽にはNOと言ってゆかなければならないと、改めて心に誓う2014年新春である。
参考文献:1「プルメテウスの罠」朝日新聞 2「科学」11月号 岩波書店