復興とは何か、災害復興とは何なのか。いったい何をもっての災害からの復興なのだろうか。それでは、災害とは何なのだろうか・・・。
2006年から社会学としての災害復興学に携わってきた。
起こってしまった災害から、被災者をできるだけ速やかに救出し尊厳ある暮らしを取り戻すことを、「公」と「私」の両面から考える学問が災害復興学だ。
しかし、「公」と「私」の間には深い溝がある。誰かの「私」は他の誰のものでもない「私」であるからだ。それを「公」でどれほどカバーできるのだろう。単なる最大公約数であってはならない災害復興における「公」。
因ってそこには、いつも被災者の尊厳を重んじ、自らが選択することを重んじる、被災者の「権利」が最も重要であるというのが大前提にあった。
例えば、災害復興に於いて最も大事なものは「医」「職」「住」といわれている。殊に「住」は、尊厳ある生活の基本中の基本であり、居住権は他者が侵すことができない最も重い権利であるはずだった。これまでの災害復興では、間違いなく。もちろん、出来ると出来ないとには関わらず、それは大前提であったはずだった。
しかし、今回の東日本大震災では、その概念そのものが大きく違っていたのではないだろうか。
そう。平時の「人権」を放射線被ばくと言う、究極の非常時にも適応してしまった結果、余計に人々の尊厳を奪うことになってしまったのではないだろうか。
例えば、今回、年間被ばく量が20mSvになるような双葉八町村や飯館に当初は全て居住制限を掛け、その後は最も厳しい線量以外の場所には、帰るか帰らないかを自治体の首長が単独で決める方式を取ったのだが、この方法が果たして本当に良かったのだろうか。
しかも、当局は終始一貫、空間線量のみを簡易的に調べているだけで、土壌線量は一切考慮に入れていない。
もしかしたら居住制限を掛け放しにして、どうしても帰らざるを得ない人に対してどんな支援ができるのか、という観点で「公」的に「私」の支援をするべきではなかったのだろうか。なぜならば、放射能汚染は人類史上稀にしか起こらない災害であり、全ての人類には未だに放射能災害に対して十分な経験を持っていない。
そんな災害に対して、厳しい居住制限を掛けることは、果たして本当に不条理で人権侵害の政策だったのだろうか。もしかしたら大変に厳しい環境に一見、自由な意志を重んじて住民を「返す」ことの方が、ずっと重い人権侵害を引き起こすことにはなりはしなかったか。
そうして、その現状をただただ傍観していただけの私たちは、果たして正しい傍観者だったと言えるのだろうか。
なぜならウクライナのチェルノブイリのzoneのように、結果的には廃炉になるまでは「医」と「職」と「住」は、zoneの中にもあるのは事実なのだから、必要に応じて残すことはあってもいいのだが、予防原則の立場にたてば、予見出来ない場所に帰還することをすすめるべきではなかったのではないか……という反省が今の私には大いにある。
だからこそ、今福島県で起こっていることを総合的徹底的にこれから福島県で起こること、首都圏で起こること、日本中で起こることの可能性を徹底的に洗い、優先順位をつけて非常時の災害復興を考えてゆくしかないのではないか。
もちろん、福島にだけ対応していてもダメで、岩手・宮城を始めとしてあらゆる地域の実情も考慮に入れなくてはならない。以下、備忘録のつもりで書き出してみる。
#1 福島第一原発廃炉までのロードマップの徹底的な見直し(100年構想)
#2 双葉八町村のzone化計画。国直轄事業にて
#3 TEPCO清算に伴って福島原発内就労者の透明化
#4 双葉八町村及び線量の高い地域(含む中通地方、栃木県北部、茨城県、東葛地域)の移住計画の法的整備。二重住民票、セカンドタウン構想etc.
#5 白河・那須塩原地域への移住促進(含む首都圏広域介護タウン構想)
#6 首都直下・南海トラフ地震への具体的対応策(含む首都機能分散構想)
#7 南海トラフで被災する原子炉に対する予見と対処
#8 青森県・岩手県・福島県・茨城県の原子炉に対する予見と対処
#9 若狭湾と柏崎・刈羽原発が被災した場合の原子炉に対する予見と対処
#10 大規模災害時の疎開対策(関東・東海・近畿の被災時に於ける、住民の大規模な疎開についての構想と大規模な啓蒙)
などなど、誰と誰を繋げれば未来に光が射すのだろうか。
この部分を考えるエキスパートが、この国にはなかなか居ない。
こうして書き出してみると、結局は国の形を大きく変えてしまう災害がこの国に迫っているという事実に基づいて、誰が責任を持って何を提言してゆけるのかに掛かっているように思うのだ。これは、今までの災害復興をふまえて一歩前進をさせて行かなくてはならないということである。
こういう事を事前にフレキシブルに考えられる法律家は、日本では恐らくたった2人しか居ない。
社会学的・安全保障的・社会保障的・経済的・政治的など、色々な角度から考えてゆけるメンバーも、恐らく日本に数人しか居ないはずなのだ。
しかしその面々を集めて、志のある誰かが、想定外のその壁を超える発想を持っていなければ、恐らく早晩この小さな島国は終焉を迎えるだろう。
311の日にこそ、粛々と考えなてゆかなくてはならないことだと思うのだ。
写真は真冬のまだ平常な隅田川