10:00 19℃
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被ばく水放出ありき医療費も抑制ありき命いずこぞ
makenaizone |
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昼から洗濯三昧の暑かった一日。
夕食は近所の和食屋さんで、父の知人方と会食。
自分の知らない父の話が溢れて、とても懐かしい気分になった。
父が死んで八年ぐらいになるのだが、歴史をよく知っていた人だったので、生きていたら色々聞きたいこともあったな。
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さて、明日からは少し真面目に本を読まないといけない。
精神的にダメージを受けるということは、いったいどういうことなのだろう。
肉体的なダメージとはどう違うのだろう。
精神的なダメージは、やがて肉体的なダメージや社会的なダメージに広がってしまうことも多い。
ならば、一時的なダメージ、二次的なダメージとどう分かれてゆくのだろう。
それにはきっと、何らかの共通する症候があるのではないだろうか。それを見逃さなければ、小さいダメージで発見できるのではないだろうか。
つまり初めの兆候は、いくつかの自律神経障害が起こるのではないだろうか。
では、精神的ダメージとは、いったいどんな事で修復されるのだろうか。ダメージの種類に因っても修復過程が違うのではないだろうか。すると当然ながら性差があるのではないだろうか。その性差によるダメージの違いは、正しく評価されているのだろうか……。
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待てよ。早寝する、というのもこの休暇の大きなトライアルなのだ。
こんな時間からアイデアが浮かんでしまう癖を直さないかん。
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【まけないぞうの応援団 makenaizone(負けないゾーン)より 8月11日に寄せて】
東日本大震災から3年と5カ月。あれから4度目のお盆の季節がめぐってきました。
天へ召された多くの方々の想いは残されたご家族のもとに戻っていらっしゃることでしょう。
8月11日の夜、震災で尊い命を落とされた皆さま、そして、愛するご家族、大切なご友人を亡くされた多くの皆さまの今も癒えないお気持ちに心を寄せ、キャンドルの灯りとまけないぞうさん達と共に祈りました。
東日本大震災、そして その他 多くの自然災害で尊い命を失われた数多くの方々が生きたかった今日という日をこうして生かされている自分達に何が出来るかを自分自身に問いかけ続け、少しずつでも行動に移しながら過ごしたいと改めて思います。
幾度季節が廻っても いつまでも どこにいても 命ある限り ずっと ずっと。
合掌。
It has been 3 years and 5 months since 3.11 Big Earthquake & Tsunami occurred in Northeastern part of Japan.
Our thoughts and prayer go out to the people who have lost their very precious lives and to those who have lost their family & loved ones due to not only 3.11 but also to all the other natural disasters all over Japan & the world.
Since “Today” that we live is “Tomorrow” that the victims of the disaster wanted to live so much, we’d like to do what we can do for the recovery progress of the affected areas of not only 3.11 but also all the other natural disasters.
Praying with the candle lights & Never give up elephants that the affected people made in Tohoku area.
日曜日の朝は、濃霧だった。
濃霧の中、友人達とにぎやかな朝食だ。
昨晩の夕ご飯も鉄板焼きで楽し過ぎる時間だったが、このメンバーが、みんなよく食べる食べる。昨日スーパーマーケットで大量に仕入れたフレッシュな野菜と牛乳とパン。
昨夜の残りの肉まで食卓の上に。朝からステーキ&オニオングラタンスープ!
お腹も心もいっぱい。みんなの笑顔に感謝の朝食だ。
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四国や三重県など、台風の被害の相次ぐ中で、私たちだけ楽しくて申し訳ないなぁ、と思いつつ。
昼頃から、晴れていると見晴らしの良いカフェで、台風のピークを迎えた。窓の外は、濃霧の世界。この地方は、本当に霧が多いのだけれども、こんなのは珍しい。
個人的にはピーカンの大パノラマより、濃霧の方が好きなのだが。
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午後からは知人の工房を訪ねたり、ちょっと足を伸ばして小諸の日帰り温泉へ。
夕食を食べて、一寝入りして、友人達は帰っていった。
さきほど「無事に着いたよ」というメールがきて、一安心。
さ、寝ましょ。
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ハーロン 960hPa 足摺岬
8:00 31℃
朝からピーカンで、とんでもない暑さになった。
足の怪我であまり歩けないし、外来も空いていたので、珍しく午前中から新聞を読んでいた。
8月から東京新聞も電子版にしてみたのだが紙も取っているので、紙の東京新聞新聞から眺めて、iPad mini で朝日新聞を眺めていたら、従軍慰安婦の記事でつくづくipad miniの限界を感じた。
前にも何度も書いたが、わたしはiPadと相性が悪い。2泊ぐらいの旅にゆくなら、Macbook air とiPhoneだけで充分。
Mac党の新しいもの好きなので、iPadも発売直後から持ってはいるが、しかも実は仕事にも居ると何台も持っているのだが、未だに使い方が分からない。テクニック的なことではなくて、あの大きさと重さが自分にとって不要なのだ。
最近、新聞を電子版にして、ようやくiPad miniを持って歩くようになったのだけれども、ま、新聞も読もうと思えばiPhoneで読めちゃうし、要するに、好きじゃないんだなiPadが。
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で、朝日新聞の従軍慰安婦についての新聞記事が目に飛び込んできた。
よく読めば、一面にしっかりと編集者の意図が載っているのだが、ここをきっちり読んで咀嚼していないと、紙の読者は急いで16・17面までめくってしまうのではないだろうか。
電子版だと本当に何というか臨場感というか、ページめくって読んでるぞ、こんな大きな特集になっているのか感というか、そういう実感がない。その分、冷静に読み進めるのかもしれない。
16・17面までめくってみる。ここは紙だと見開きになっているんだろうなぁ、などと想像しながら、文字を拡大して読むのだが、読み難いこと極まりない。
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こんな読み難くて、内容がまた分かり難い。何回か読まないと咀嚼できない。これってすごく誤解をまねく書き方なのではなかろうか。
よく言えば、朝日新聞は読者を信頼し過ぎてやしないだろうか。こんな暑い日に、読者は何度もこの記事を読み直すだろうか。
読者というのは、もっとラフに新聞を読んでいやしないだろうか。
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案の定、夜のBSプライムニュースでは、さっそく桜井よしこ氏が鬼の首をとったかのように、誇らしげに「朝日新聞の間違った報道が日韓関係悪化の元凶であり、32年にも渡って虚偽をふりまいた朝日新聞の罪は重い」というようなことを言っていた。
桜井さんの認識は、まったく間違っている。しかし、この記事は桜井さんのような人たちを活気付けてしまったに違いない。
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証言した人の内容が事実と違っていたにしろ、従軍慰安婦という制度そのものが、いかに大きく人権を侵害しているものなのか。集団で人を殺すという狂気に曝された男たちの今生で最後になるかもしれないという異常な状況の中での、セックスの相手をしなくてはならなかった女性たちの、その壮絶な状況をなぜゆえ想像できないのだろうか。
「従軍慰安所」に連れてこられるに当たって、その「彼女」の同意があったか無いか、強制であったか否かなぞ、彼女たちが受けた人権侵害にどれほどの違いがあるのだろうか。もしも同意であったとしても、戦地から彼女たちは逃れられなかったはずではないか。
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狂気に曝された兵士たち、医学的に言えば、交感神経がずっと興奮し放しになっているような状況下にある戦場の兵士たちの相手を、朝から晩までする女性の一日の生活を考えてみたことがあるのだろうか……そんな事を考えもしない、どんな事があっても責任も取らない組織であった内務省・大本営だからこそ、未だにこれだけの大きな事実を認めないのだろう。
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あの戦争で始まった、この国の取り返しがつかない「集団的無責任主議」の酷さ。
それが未だに続いているこの国。東電の事故も全く同じカラクリだ。
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ところで、この国ではメインストリームに乗った男たちは、かなり大きくマズイことにならない限り、その負の責任は取らなくてもよいシステムになっている。
が、ひとたび負の事象が大きく回り始めると、たった一人に誹謗と中傷と責任がかかってくる。すると、結局、死ぬしかないのだな。科研の笹井氏のように。
朝日新聞の記事を読み返しているうちに、科研の笹井氏の自殺の一方がiPad miniから流れてきた。笹井氏を決定的に追いつめたのは「NHKスペシャル」だったに違いない。
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何はともあれ、心がザラザラした一日だった。
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ちょっとした時間の行き違いで、新幹線の発車まであと2分で軽井駅に到着した。
東京行き終電車の一本前。これを逃すと一時間待たなければならない。
両手に大荷物を持ったまま駅のコンコースを猛ダッシュした。で、やっと改札をくぐり、10歩ほど走ったところで、突然、右足が前に出ない感覚……うそヤバっ、と思った刹那、スローモーションの世界とあいなった。
気がつくと、もんどり打って倒れてしまったのだった。両手に持った荷物もリュックまで投げ出しての、大転倒ときたもんだ。
その瞬間、新幹線に乗るのは諦めたのだが、勇気をふるって起き上がってみたら歩けたので、またも孟ダッシュ。エスカレーターを飛び降りて、超ギリギリセーフで新幹線のドアの内側に転がり込んだ。ハァハァハァ。
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何とか席になだれ込んだのだが、高崎を過ぎる頃まで、息が上がって戻らなかった。
ようやく呼吸が楽になってきたと思ったら、右足全体が痛くなってきた。すると、みるみる痛みが増してゆく。
東京駅に着いて歩き始めたら、下腿の膝の外側が足を着く度に痛いのと、五趾がめっちゃくちゃ痛くてヨチヨチ歩きになってしまっていた。この痛みは恐らく右腓骨骨折と第五趾の骨折に違いない。
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なんだかなぁ。こんな怪我、ほんとうに久々だ。
明日は午後から長い会合があるし、原稿も書かなあかん。来週は夏休み前ですごい週になるだろうし、怪我している場合じゃないじゃん。
ま、手の骨でなくて良かったじゃないか、と、自分で自分を慰める。
それにしても、参った参った軽井沢で大転倒の巻なのである。