今日は11日、明日はもう12日なのか。ウクライナでの鮮烈な体験・一種のショック状態がだんだん解けてきて、日常に戻りつつある。ところが、今頃になって原稿を書いたり、話をしたりという仕事が増えてきた。
発表の場を与えてもらえることは感謝しても足りないぐらいなのだが、そのうちの少なくとも一つの依頼者から「主観を入れないで、聞いてきたことを客観的に書いて欲しい」という要望が入った。
この場合の「主観」って何だろ? 「客観」って何だろ? そもそも日本からやってきた、ポッと出のというか一見さんの弁護士の団体客に、あの国の人々が 100%こっちの知りたいことを詳らかにしてくれているのかしらん? そこを「主観的」でなくて「客観的」に文字に起こせと言われても、甚だ自信がない。 そんなことできやしない。
そもそもわたしはわたしの「直感」、つまり「主観」を多いに熟成するために、わたしは診療を休んで自分の患者さんを放ったらかしにして、チェルノブイリ事故の「現場」に行ったのではなかったか。
従って、見てきたものがわたしというフィルターを通った時点で、それは「客観」ではなくなっているばずなのだ……なーんちゃって、そんな事を考えている間 にも時間は流れ、水曜日にはウクライナ見聞をレクチャーしなければならない。日記に沿って、写真のスライドを用意しないと、と。
それにしても引っかかるなぁ、「客観」って何だろ。オイラは主観しか持ってやしないさ!
台風3号かゆっくり接近中。