目指せ 竹炭商店PROJECT

makenaizoneは竹炭を応援しています。兵庫県佐用町で焼いた竹炭を使って、飲み水をキレイにしましょう。
CBWP-P  Carbonised Bamboo Water Purification Project.


竹炭隊、最初のいーっっぽ。

2011年12月6日 火曜日

「竹炭隊」いよいよ出発☆

しむたん、こと紫牟田です。

佐用町に行ってきました。
出発前の青木先生の一言は「この日が来るとはなあ」。
まさに。私も含め、いつもどこかに痛みを抱えた青木先生の患者とその先生の一行、ですからねえ…….

私が青木先生のクリニックに通い始めたのは4月末のこと。三叉神経痛のためです。
それから頻繁に通っていたクリニックで注射をして安静にしている間、青木先生が東北の被災のこと、原発のこと、いろいろとお話してくださいました。
そんなとき、竹炭の話うかがい、実際に送られてきた竹炭をいただき……..
水をまろやかにすると言われますが、こうしたものは、ほんとうは自然と共存してきた私たちが長い間培ってきた知恵だったはずです。
原子力というような者とは違う、つねに身近にあるものとの関係を、もっと大切にできたらいいなと思いました。
以前から炭焼きの場を見にいきたかったので、グッドタイミングです。
「竹炭づくりを見に行きましょう!」

…….というわけで、その日が来ました。行ってきました。

竹炭焼きの「師匠」内海さんを囲んで

鳥取ご出身のまみさんのおかげで、鳥取経由佐用町というルートがさっさと決まり、青木先生、まみさん、みわ子さん、しむたんの4人で第一次竹炭隊が結成されました。

羽田空港での待ち合わせでは、「佐用町は寒い」と思い込んだ4人は、着膨れですでに汗だく。
結局、雨は降っていましたが、そんなに寒くはなかったです、佐用町。
村井代表のご紹介でうかがったのは、内海さん(78歳)の炭焼き釜。
私たちのために、釜をあけるのを待っていてくださったそうで、中には竹炭がいっぱい。
そしておみやげにたくさん竹炭をいただいて参りました。
竹酢液(水虫によく効くらしい)や竹炭のお話をうかがいました。

その後、町営のロッジにある炭焼き釜や間伐の現場などを村井代表にご案内いただき、美味しいシシ鍋をいただき、一同、満腹。
帰りに道の駅でたいやきまで食してしまい、
満腹すぎて車中で爆睡してしまった私をどうかみなさま、お許しください………。

竹炭以外にもいろいろな発見や考えることが多かった旅でした。
竹炭商店の最初の一歩でした。

では、また。

紫牟田伸子
Nobuko Shimuta

左からDr青木、しむたん、村井さん、まみさん


佐用の旅アルバム

2011年12月5日 月曜日

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竹炭隊行ってきました!

2011年12月4日 日曜日

12月2日、鳥取経由で3日に兵庫県佐用町に行ってきました。
メンバーはしむたん隊長こと紫牟田伸子さん、岩崎みわ子さん、若林まみ子さんです。 (続きを読む... more...)


竹炭のパワー

2011年8月30日 火曜日

それはある日の青木主宰の一言ではじまりました。
「竹炭がいいらしい、放射能の除染に・・・」もちろん医師である主宰は、科学者でもあります。
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「被災地から被災地へ」―佐用町から石巻市住吉へ

2011年6月30日 木曜日

村井雅清(むらい・まさきよ)

2009年8月水害に遭った兵庫県佐用町で焼いた竹炭約1トン(100紙袋)を、東日本大震災の被害のあった宮城県石巻市住吉にある石巻中央公民館住吉分館に運びました。6月28日に佐用町で炭を積み込み、翌29日早朝4時30分に神戸を出発、12時間トラックで走って届けてきたのです。

佐用町からの第一号としての炭は、まだかまだかと待ち受けてくださった自治会長さんと日本財団のスタッフ及び現地にいたボランティアとで、手際よく広さ約30畳の公民館に敷き詰めました。100紙袋の炭はすでに消毒のため散布された石灰の白い粉を覆うように、手際よく5人の手で敷かれました。佐用町上月竹炭生産組合指導のもと当NGOスタッフである社会人1年生と大学4回生とで焼いた炭は、丁度床下一面に過不足なく敷き詰めることができ、作業はわずか30分で完了しました。

紙袋の口ヒモをほどき、白い土の上に撒くと、竹炭独特のキンキンという金属音が響き渡り、2009年の佐用町での水害後の同じ作業を思い出しました。こうして耳に残っている音というのは、しばらく聞いていると懐かしく蘇るものです。自治会長さんも「水害後の大変なときに、しかも遠いところから運んでくださってありがとうございます。」と丁寧にお礼を言われ、こちらの方が恐縮するほどでした。 (続きを読む... more...)

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