まけないぞうの現場から。

「まけないぞう」の育ての親であり、日本のボランティアの父である村井雅清さんが、日々感じたつぶやき特集。
被災地NGO恊働センターから 被災地の今を伝えます。


被災地の増島さん、作り手さんたちと神戸「仕分け隊」・・・つながっています Super connexion Tohoku area Makenaizô makers supporter Ms Masujima and Kobe Towel sorting team

2012年2月15日 水曜日

遠野の「まけないぞう」の作り手さんたち いろいろな仮設住宅、借り上げ住宅などにお住まいの方々に、「まけないぞう」を通じて 細やかに寄り添っておられる 増島智子さん(被災地NGO恊働センター)が 雪の遠野から、定期的に現地の様子を伝えてくださいます。

東日本大震災 救援レポート 「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり です。

遠野の増島さんと、神戸「タオル仕分け隊」の家藤さんたちのチームのあいだで連絡をとりながら、「まけないぞう」タオルを被災地へ向けて発送しています。
神戸の「タオル仕分け隊」の家藤さん
被災地の作り手さんと「タオルの送り手さん」を、なんとかつなぐことができないか・・・と考えたそうです。

家藤さんのつぶやきをご紹介しますね。

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家藤さん
被災地NGOの増島さんが、まけないぞうをお手伝いさせていただいている僕達の活動をレポートしてくれました。
東日本大震災 レポートno.150
「まけないぞう」がつなぐ遠野ものがたり
被災地から被災地へのリレー(1)

作り手さんたちから
「えーそうなのありがたいね~。じゃまたがんばって作らないとね」
と、お言葉をいただけました。

「つながっている」と感じました。
タオルを送っていただいている支援者の気持ちを、被災者にお伝え
することができないかなぁと、考えています。
僕達、仕分け隊ができそうなことは、支援者のお手紙を、
”仕分け隊新聞”なるものに
、まとめて、作り手さんに、送るタオルにしのばせることかなぁ。
新聞の中身は、何がいいかなぁ。
どういう
人が、どういう思いで、おくってくれるかが、わかるような形がいいなぁ。。
うんうん。ちょっとかたちにしてみよかなぁ。

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・・・こうして出来たのが 月刊「仕分け隊新聞」だったのですね!! 

月刊「仕分け隊新聞」については、こちらでもご紹介しています。「新聞」の内容も拡大で見られます。

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遠野の増島さんから、写真が送られてきました。

家藤さん
「添付の写真は頂いた新聞を釜石の作り手さんに届けた時の写真です。みなさん「ありがたいね〜」と感謝しています。」とのことでした。よかったよかった。


被災地NGO恊働センタースタッフ増島智子さん@遠野市の便りです

2012年1月4日 水曜日
昨年5月から遠野市に拠点を置いて、東北地方の沿岸部の各地でまけないぞうの作り方を被災された皆さんに教えている増島智子さんから、メッセージです。
『makenaizoneのみなさん、増島@遠野です。
今日朝起きてお風呂の窓を開けようとしたら、2重サッシの内側の窓が凍っていました。
恐るべし極寒の遠野です。気温は氷点下1℃くらいです。
田中さんの写真すごいです。素敵です。
年越しを遠野で静かに迎えました。
明けましておめでとうございます。
気分的にはおめでとうという感じではありませんし、KOBEだと117が終わらないと年が明けた感じがしません。でも何とか新年を迎えることができました
昨年はmakeanizoneのみなさまには多大なるご支援を頂いたこと心より感謝いたします。
みなさんのお陰で被災者の人たちも一歩ずつですが、前を向いて歩いて行けるようになりました。年末最後の回収に陸前高田の仮設を訪れたとき、「今年はお世話になりました。」と言って、ぞうさんを一つプレゼントされました。「これは数に入れてないからね」と製品以外に一つ余計に作ってくれたのです。そのぞうさんがこの写真です。
それから、元旦には大槌町の作り手さんからメール頂きました。
「明けましておめでとう~と言っていいものか・・・ぞう作りに出会えてよかったです。仕事のない私にとって家にいながら、子どもの側でできる仕事なのでやりがいがあります。今年もがんばって作りますので、よろしくお願いしま~す。」と・・・。
彼女は大槌町で被災し、津波で経営していて美容室が流され、支援者の人たちによりハサミなどの道具を揃え、少しずつ仕事をしていますが、まだまだです。「まけないぞう」を作り始めて早7ヶ月、本業への再開に少しずつ歩みを進めています。
新年にこんなメールを頂いて「まけないぞう」をしていてよかったなと実感することができました。それもみなさんのご支援があってこそ、彼女たちは「まけないぞう」を作り続けることができるのです。改めてここにお礼を申し上げます。ありがとうございます。どうぞ今年もよろしくお願いいたします。』 

 


年末最後の東北行き 26日、27日の二日間 釜石の仮設でまけないぞうを創ってきました

2011年12月31日 土曜日

みなさま、”あくろっしゅとわー”村井です。

みなさま、今年は大変お世話になりました。言葉では言い尽くせないほど、感謝の気持ちでいっぱいです。

年末最後の東北行きとして、26日、27日の二日間でしたが岩手県で頑張っている増島智子への慰労を兼ねて、釜石の仮設でまけないぞうを創ってきました。みなさん、凄く元気で正直ホッとしました。嬉しかったです。年末最後の回収になったのですが、みなさんギリギリまで創って下さって、86才のリーダーは68頭、他の3人は各々40頭、30頭、20頭と頑張ってくれています。20頭を出荷して下さった方は、はじめてこういう手芸品をつくったそうで、それでも20頭も創れるようになって喜んでおられました。
40頭の方は、少し離れた仮設から2回路線バスを乗り換えて、こうしてみなさんが集まってくる仮設にいつも来られるようです。この方は、ご主人が身体の具合が悪いのですが、少しの間をぬって来てくれています。

 

私が今回どうしても行きたかったのは、釜石のこの仮設で初めてお会いしたSさんのことが気になって、Sさんの前でまけないぞうを創りたかったからです。
Sさんは、釜石市内で53年間お店を営んでいたのですが、今回の大震災でお店も、ご主人も、息子さんも流されてしまい、たったお一人になってしまったという方です。避難所でまけないぞうに出会い、「少し前を向いて行けそう・・・・。」とかすかな希望を手にし、仮設住宅に入りてんでばらばらになっていたのが、また偶然ここの仮設にまけないぞう講習会を開いた時に再会したのです。
はじめてお会いしたときは、「まけないぞうのおかげで、少し元気になりました。」と言って下さったものの、まったく声に張りがなく、それでも「避難所にいる間は何もすることがなく、身体もなまってしまったので、ここに(仮設)来て毎朝歩いているのよ・・・・」と遠くを見ながら語ってくれました。笑っているのですが、心底笑っているようには見えず、大変気になっていました。
今回再会して元気な笑顔を見ることができ安心しました。私のつくったまけないぞうを手にとって見てくれ、「上手になったね!」と言ってくれました。
正直言って、まだまだ心底の笑いにはなっていない気がしますが、お友達も出来て大夫元気になったように見受けました。
考えてみれば、いつまでも心底の笑いなんてないのかも知れません。でも、まけないぞうを介していろいろな方が見守っていることが伝われば、ゆるりゆるりだけれどもきっと力強く歩かれるだろうと願って止みません。

 

極寒の東北で頑張っている増島はじめボランティアの人達には頭が下がります。事前に、増島から「朝6時から雪かきだからね!」と言われていたので覚悟をしていたのですが、私がお邪魔した二日間は、雪も降らず穏やかな日々だったので、「毎日雪かき!」なんてウソのようでした。でも今朝「朝から大雪!」というメールが来たので、私が滞在した二日間は例外のようでした。

 

先日12月11日に、福島県白河市の仮設住宅で67才の男性が孤独死されたという記事が出ました。この方は津波で妻を亡くし福島第一原発事故で故郷を追われた福島県双葉町の方です。お一人暮らしで、冷え込んだ朝に風呂場で心臓発作を起こしたと見られています。仮設の暖房は一部屋にしか入らないようです。しかし、あと二日でもう新年という今でも、宮城県の一部ではまだ冬対策の突貫工事をしているところもあるのです。
そして「福島県は寒冷地仕様でない仮設が多い」という指摘もあります。

先日福島、宮城、岩手の3県で避難所から待機所に移っていた方が、すべて待機所を出られたという報道がありました。33万余名の方が仮設住宅で暮らしています。(みなし仮設を把握できていない市町も少なくなく、在宅の被災者に至っては支援は手薄なままです。こうした被災者への見守り、寄り添いボランティアが今こそ大量に必要な時期なのに、5月の連休をピークにボランティアは減り続けています。原発・ガソリン不足・余震の影響もあり、最初にボランティアにストップがかかったことが尾を引いているのでしょう。
これから極寒の東北を思うとボランティアは増えないでしょう。春先の暖かくなった時のことを考えて、今からいろいろと知恵を出さなければならないのですが厳しいかと思います。

 

そんな中でも、各地で再起をかけて「仮設店舗」を再建し頑張っておられる方々も増えてきました。
人口の減った被災地で、充分に採算が取れる見込みはないのにも拘わらず地域の復興のために頑張っている姿には、こちらが元気を頂きます。またあちらこちらで住民主体のまちづくりの一歩が始まっています。阪神淡路大震災では、発災後9ヶ月でこれほど住民主体の復興計画がつくられていることはなかったです。
みなさん、「まけないぞう!」とこの苦難を乗り越えられることを祈りましょう!

岩手県大槌町赤浜という漁村で、奇跡的に助かった商店のご主人にお話を聞きました。
淡々とあの時のことを話されるのですが、静かに「後ろを振り返っても仕方がありません。」という言葉にこちらが泣き出しそうになりました。
この町に学校からバスに送られて小学生が帰ってくる頃には、もう真っ暗だそうです。街灯一つついていません。丁度地域の入り口にあるこの店の明かりが安心をもたらしています。ご主人曰く「いつも子どもたちが帰ってきたのを見届けて、店を閉めるんです。」とおっしゃっていました。このご主人も仮
設でまけないぞうを創っている方をご存じでした。

 

みなさま、来年も応援よろしくお願い致します。まけないぞうのつくりてさんは、全被災者のホンの一握りです。でも”まけないぞう”を創っておられる方のほとんどは、どんどん元気になっています。南三陸や石巻、仙台のつくり手さんに年末最後の電話を入れました。「わざわざお電話下さってありがとう。感謝します。」と言って下さり、みなさん大変元気ですごされています。
みなさまの応援が確実に届いています。話題の中ではやはり「アメリカ、オーストリア、フランス、ドイツなど世界中に飛んで行っていますよ!」と被災者に伝えると目を白黒されて喜んで下さっています。「つい最近ではアフリカにも引っ越ししています。」と言えば、もう驚きの表情です。

 

阪神淡路大震災からずっと大切にしてきたマザーテレサさんのメッセージを最後にお伝えし、今年最後の”あくろっしゅとわー”村井からのお礼の言葉とします。

「私たちは大きなことはできません。ただ小さな愛を持ってすることはできます。」
また来年、あくろっしゅとわー!!

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被災地NGO恊働センター 代表
CODE海外災害援助市民センター 事務局長・理事
村井雅清(むらい・まさきよ)


25日夜から東北に向かいます。27日には仮設住宅で増島とまけないぞうをつくってきます。

2011年12月23日 金曜日

みなさん、久しぶりの”あくろっしゅとわー”村井です。
みなさんほんとに申し訳ありません。きちんとメールに対応できていなくて・・・・・・。

青木先生のお話に出てくる「緑の駅プロジェクト」って 私も聞いたことがありますが、先生の知人の築地のさのきやさんが「まけないぞう」をお願いしてくださっていたのですね?

確かに「まけないぞうはもう充分有名なので・・・・」というのは嬉しいですね!!
みなさまのおかげで、相当浸透していると思います。

もともと阪神淡路大震災以後、私たちの名刺には「まけないぞう」のイラストなどを入れていますが、名刺交換をしたときに、「あ〜、これってそちらがつくっているんですか?」と反応される方が多かったのですが、東日本以降は留まるところを知らない勢いですね!

海外はとうとうケニアまで行ってしまいますし・・・・・。

*****

25日夜から東北に向かいます。27日には仮設住宅で増島とまけないぞうをつくってきます。
やはり、東北の極寒を少しでも体験しておかなければと思っています。
ほんとは、仮設住宅に一晩でも泊まりたいのですが、まけないぞうの作り手さんは女性ばかりなのでそういう訳には行かないのですね。

ということで、今年もあとわずかですね。
「3・11」以来走り続けてきましたので、「アッ!」という間でした。
神戸は「1・17」が終わらないと落ちつかなくて・・・・・・・。

今日は、神戸にも一瞬みぞれが降りました。
みなさん、今日から全国的にかなり寒くなりそうなので、くれぐれも気をつけて下さい。

世界の各国のまけないゾーンのみなさま、ほんとに「3・11」以来、東日本と向き合って下さいましてありがとうございます。これからもよろしくお願い致します。

明日は、京都の知恩院でまけないぞうのアピールに行ってきます。これアワードで、受かれば賞金が戴けます。結果を楽しみにしておいてください。
(と言っても、前回は能登の写真集でプレゼンして見事に落選しました。)


大阪に福島から避難されたお母さんたちが「子ぞうの会」を作って支え合っています

2011年12月13日 火曜日

みなさま、”あくろっしゅとわー”村井です。
11月29日に、2回目の大阪での「”まけないぞう”講習会」を開きました。
前回にも簡単にご報告しましたが、大阪にも福島からの避難者(自主避難者が主)が来られていて、子育て、仕事、文化の違いなどいろいろな悩みを抱えておられます。
大阪でのまけないぞう講習会は、こうした方々を対象に行っています。前回参加して下さった乳児を抱えたお母さんが中心になり、「子ぞうの会」(仮称)を立ち上げられ、29日の第2回まけないぞう講習会にまた新しい方々にも呼びかけ開くことになったのです。集まってこられる予定のお母さん達は「何か少しでも収入につながることができるというのは、安心に繋がる」とおっしゃっています。

さて、先日私どものNGOに一通の深刻なメールが福島から飛び込んできました。
福島の東電原子力発電所から10km圏内に住んでいた乳児を抱えたお母さんからです。メールの内容は「福島県内の仮設住宅に入居しているのですが、子どもがアレルギー体質なのでアレルギー対応の粉ミルクを戴けないでしょうか?」というものでした。ここの仮設住宅団地には、生活支援員という被災者を見守る専門員がついています。このお母さんはまずこの支援員さんに「救援物資でアレルギー対応の粉ミルクがありませんか?」と尋ねられたそうです。
返事は「そんなのありません!」の一言で終わりです。お母さんは困られてネットで検索して、私どものNGOに辿り着いたようです。もちろんすぐ粉ミルクは送って差し上げましたが、お母さんは「ここには小さい子どもを抱えているのは私一人です。誰にも相談できず閉じこもりになります。」と、悩んでおられます。
 私たちは、ネットワークを駆使してこの仮設団地近くで活動しているグループを捜し、また一応福島県の職員にも現状を報告し、対応をするようにしました。
おそらくこのお母さんは、もう後がなくSOSを発信されたのだろうと推測します。
身近に相談に乗って上げる方さえいれば、とりあえずは不安が軽減する筈です。取り返しのつかない自体にならないように、急いで一人で悩まず、一人で
問題を抱え込まない、環境をつくらなければならない事態です。
このお母さんの傍にいつも”まけないぞう”があればなぁと思っています。「お母さん、一人じゃないですよ!」というメッセージを送り続けたいと思います。もちろん、まけないぞうはプレゼントさせて頂きました。

それから、先日福井大学で「ボランティア論」を講義してきました。
感想文に、一人次のような内容があり、「いい感性してるなぁ!」と感激させて頂きました。
「被災者支援ではなく、人間支援なんだ!被災者である前にそこに間違いなく人がいるんだ!」というものでした。
私たちはともすれば、勝手に「被災者像」をつくってしまいがちです。若者にまた一つ、目覚めさせられました。

我謝さんは福島に行かれるのですね?
福島から県外に自主避難された方も少なくなく、差別などを受けほんとに厳しい生活を送っておられます。そんな中で、「まけないぞう」が大活躍しています!!
大阪の「こぞうの会」 若いお母さんたちが支えあっています。

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