月に一回、座禅を組んでいる。
30分座禅をして、その後に禅の勉強会、その後は飲み会となるのだが、下戸であってもそれがなかなか面白い。
僧侶と文字通りの「禅問答」というか、時事問題に絡めて多いにそう、哲学を語る夜である。
30分間、無我の境地になる。自我をどれだけ捨てられるのか……ところが無我の境地のそのまた遥か以前に、毎回お尻の痛みと闘わなくてはならない。
おまけに今日は寒くて、寒さとの闘いも待っていた。
それでも運が良ければ15分ほどで、脳にアルファー波が出てきて身体がラクになる。
たった今、大きな大きな悩みと憂いを抱えてしまった私たちである。それと正面から365日真っ向からつき合うことはないのではないか。
憂いをほんの少しの間だけでも、忘れる術を持っていたら、どれだけ楽になるだろう。
例えば、電車の中で俳句を考えている時、ふとした風景が目に止まって季節を感じる。無意識のうちに季語を探す。いい季語が見つかる。それをどこに使おうか。キレ字はいるかしらん。いっそ七七の武玉川でも素敵かも、と。
あの、俳句を考えている時のように、少しの間だけ脳のスイッチを切り替えることができればいいのに。しかもいつでもどこでも無我の境地になれれば、どんなに心安らかになるだろうか、と……そう思って幼なじみが世話人をしている座禅の会に飛び込んでみたのだけれども、待っていたのは、お尻の痛みとの闘いだった。
今夜もお尻の痛みと闘いつつ、福島第一原発の高濃度汚染水はどうすれば解決するのか、順を追って考えてみたのだった。
しかし第一、どこを冷やしているのかさえもう殆ど報道されていないし、どんな水を使ってどんな風に還流をさせているのか具体的には報道陣も見た訳でない。でもって、その水は本来の地下水脈に入ってゆかないのだろうか。ゆくと思うのだがなぁ。すると少なくとも北米プレート上の大地には、地下水由来のセシウムやストロチウムが付いてやしないのだろうか。そうして、やがてもっともっと溢れて汚染水が海に流れる込んでゆくことになれば……。おおーーー、いつの間にかアルファー波が出てきて思考が停止するのがはっきりと分かったのだった。これってもしかすると、あまりに途方もないことを考えると、人間の脳は勝手にシャットダウンしてしまうのかもしれない……だ、だからこそ、世界中の英知を福島に結集しなくてはならないのだ、と、改めて思った座禅の晩だ。