1948年の今日、6月28日、福井地震が起こった。
M7.1 死者・行方不明者3769人。この地震を機に気象庁は「7」という震度を制定したぐらいの大きな地震だった。
この頃の日本の災害史をみてみると、敗戦の年を挟んで1944年に東南海地震 M7.1、
1946年に南海地震M8が起こっている。
そうして漸く復興の緒についた福井を襲ったのが、48年の福井地震だったのだ。
今、若狭湾に林立している原発群の下には、活断層が通っているかもしれないと調査が行われているが、そもそも活断層とは何なのか。
活断層とは、40万年前までに、そこで少なくとも一回は地震があって、震源断層面がズレた、その断層のことを指す。つまり、過去にそこで「一回は地震があった」という、一証拠に過ぎない。
もっと言えば、大地震が起これば、必ず活断層が生じるのかといえば、答えはNOである。大地震が起こっても、その地震の未来に活断層を残さない地震も無数にある。
だから「活断層が無かった」イコール「地震は起こりえない」、という訳では決してない。
わたしは「活断層」と「皮膚のケロイド」が似ていると思う。ケロイドは手術や怪我や火傷に因って皮膚が引きつれて、皮膚の表面が盛り上がる。
でも、同じところにキズを負ってもケロイドにならない事もある。だから、私たちの指や手に、ケロイドが全く無かったとしても、指を切ったことがないとは言え無い。ケロイドにならなかった切り傷は無数にあるはずだ。
ケロイドという「活断層」が残らなくとも、その場所は切り傷という「地震」が起こったことがある可能性は大いにあるのだ。
話を元にもどそう。
「活断層」がなくとも、その場所は「地震」が起こった可能性は大いにある……というような、地震学の基礎中の基礎的な問いかけが、原発に対してもっとあっても良いのではないか、とわたしは思っている。
わたしは医療者に対して、いまこそ「予防原則」をもって未来に対峙してゆこう、と呼びかけているところなのだが、地震学者に対しても同じ事を言いたい。原子物理学者や社会学者にも、だ。
私たちは初めて、福島第一原発での事故を目の当たりにした。以前にも書いたが、私はこれほど惨い医療不信が起こるとは思ってもみなかった。
地震学の専門家も原子力の専門家も、このような事故の顛末を想像していただろうか。
そこで次の大震災について、殊に南海トラフが動く前後に、大きな内陸地震が多発するというこの国が、何度も何度も経験してきた事実を鑑みて、最悪の事態を想定した中央防災会議であったはずだが、河田惠昭氏はなぜか原発の災害についてはスッポリと「想定外」とした。
あれだけ最悪の想定を徹底している河田氏が、原発の被害だけを想定しなかったのは何故なのか。しなかった、というよりは出来なかったのではないだろうか。
であれば、「原発震災の想定は出来兼ねる。なぜならば、次の南海トラフ地震が来れば、近代国家としての日本は終焉を迎えるからである。システム自体が壊れた国の元では、被災者支援や廃炉作業などは全く望む事はできないだろう」ぐらい言って欲しかった。
否、河田氏だけを責めても仕方が無いが、河田氏は例えば日本学術会議に、この国の運命を左右する南海トラフ地震とその前震と余震に対して、最悪の想定を出して欲しいと要望したらどうだっただろうか。
日本芸術院にでもいい。日本のあらゆる芸術・文化が、寸断され消失する可能性が高いのだが、一度最悪の想定をしてみて欲しい、と。
この国の高名な学者たちは、原子力発電に関してNOという勢力に「左翼」などというレッテルをつけてキケン分子扱いするこの国のエライ人とは、ケンカをしたくないのだろうと思う。
しかしわたしは思うのだ。もう、それではダメな時が迫っている。逆に、最悪の想定が出来ない国のエライ人々に、学者たちが自分の英知を振り絞って想定を立てた結果を、もっと厳粛に話しかけるべきだったのではないだろうか。
1605年の慶長大地震、1707年の宝永大地震 続く富士噴火、1857年の安政大地震。いずれも東海道一帯は壊滅的な状況に陥った。
災害から見た日本史で思うのは、容赦無く人々が犠牲になるという事実だ。
それでも、だ。家や町が壊れて人は死んでも、この国の豊かで美しい山河は残ったのだ。だからこそわたしたちは、こうして今を生きている。遺伝子を繋いで。
悔しいが情けないが、今度の大震災では 家や町が壊れなくとも人は死んで、山河は残らない。捨てなければならない。原発災害とはそういうものだということを、あの311でわたしたちは学んだはずだ。
今からでも遅くない。日本に居る人々は一人一人が、一度自分なりの「最悪の想定」をしてみて欲しいと思っている。自分の考えが及ばない分野が、いかに多いのかに愕然とするはずだ。