日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。
今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同しました。南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。
しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。
インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。
NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、核兵器保有国をこれ以上増やさないためのルールを定めたNPTを形骸化することになります。NPTを脱退して核保有をめざす北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。
日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。
非核三原則の法制化への取り組み、北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、被爆国としてのリーダーシップを具体的な行動に移すことを求めます。 長崎平和宣言より
全文はこちらから
http://www.city.nagasaki.lg.jp/peace/japanese/appeal/
抜粋した部分だけではなく、長崎の田上市長の長崎平和宣言は、胸に突き刺ささるスピーチだった。
1945年に落とされた2つの原爆に因っても、2011年に起こった原発事故に因っても、わたしたちの国は大きく傷ついた。この地球上のあらゆる国のあらゆる人々の記憶の中に、ヒロシマやナガサキやフクシマが宿っていることだろう。
そんな国である日本が、NPTの「核の不使用」共同声明に署名しなかった事は、本当に間違った行き過ぎた対米追従であり、恥ずべき判断だったとわたしも思う。
田上市長が平和宣言で表したことこそ、真の人権とは何かを問うたものだ。
人類は時に沢山の過ちを犯すのだ。誤ったら正す。正しても誤る、また正す。そうして進んでゆくより他にない。
こんなに簡単な「絶対悪」が認められないようでは、この国に未来は絶対にないはずだ。田上市長のスピーチを、しっかり受け止める社会にしてゆかなくてはならないと、改めて心に誓う晩だ。