午前中の台風26号が落ち着いた午後、makenaizoneの田中幸子編集長がぶらりと立ち寄ってくれた。
ここのところ、年3回ほどは帰国しているし、その度に2〜3回は会うのだけれども、それに第一、毎日SNSとかブログとかメールとかで、いつも情報を共有しているのだけれども、顔を見ると何故だかほっとする。
彼女の手みやげは「世界に広がる まけないぞう」と題したアルバムだった。
手にとってページをめくると、一瞬にして、胸の中の湖に水が湧いてくるような、そう透明な感動がわき上がってくる感じがした。
きっと誰も居なかったら、わーわー泣いてしまっていただろう。
裏表紙にはmakenaizoneのロゴがあった。
2011年の5月にクリニックのベッドに横たわった岩崎美和子さんが、ちょちょっと描いた絵がモチーフになっている。
それからというもの、私たちは「まけないぞう」を通じて被災地支援をすることに夢中になっていった。というか、それしか何もやりようがなかったという方が正しいのかもしれない。皆がそれぞれの心に大きな喪失感を抱えながら、「まけないぞう」と一緒に不安を乗り越えようとしていた2011年だった。
やがて正式にH.Pを立ち上げて、50年来の友である田中幸子がブログを書いたり写真を撮ったり、東日本大震災の被災地で暮らす女性たちのドキュメント映画「311、ここに生きる」(まけないぞうを制作する場面も出て来る、ついでに青木も出ているが)の我謝京子監督とともに、ヨーロッパやアメリカでの映画祭でまけないぞうを紹介する旅を紹介したり、あれやこれやをmakenaizoneのH.Pを編集してくれて、気がついたら2年5ヶ月が過ぎていた。
田中幸子はわたしの小学校からの友人だが、95年の阪神淡路大震災でフィアンセを失った。彼女は東日本大震災の発災時には、オーストリアで暮らしていた。そうして震災の後に一時帰国した際に、わたしのクリニックで「まけないぞう」と運命的に出会う事となった。それ以来、世界中どこへ行くにも「まけないぞう」と一緒だ。
この夏に夫の故郷のアイルランドに引っ越した彼女は、またまた、ご近所中にぞうさんを紹介して歩いている。
その田中幸子編集長が来週から東北に入る。主に岩手のつくり手さん達のところを回る、言わば「まけないぞうの現場」へ旅に出る。それで、アルバムを作ったのだという。
このアルバムをめくれば、東北の作り手さんたちに大きなメッセージが伝わるはずだ。
色々な国の人々が、「まけないぞう」を抱いて笑顔でいるだけのアルバムなのだが、「世界は東北の被災地を忘れてなんかいやしない。しんどい事も多いけれども、世界中が応援しているからね。まずは私自身が応援しているから、どうかどうか乗り越えて行こうね」という、メッセージが誰にでも一目で伝わることだろう。
あー、涙が出てきた。
もうすぐ冬がやってくる東北で、きっと多くの人々の涙と笑顔に出会うことだろう。
想像しただけで、胸が熱くなる。いい友を持って本当に誇りに想う晩だ。
昼間、アルバムを手渡された時に、彼女にサインを書いてもらった。
「子どものころからのつきあいが
こんな大きな輪に広がったぞう。
おばあさんになるまで、続けるぞう。
感謝」
子どもの頃から変わらない、クセのある字でそう記されてあった2013年10月16日だ。