みなさま、こんにちは。まけないぞうを力いっぱい応援するグループ makenaizoneのHP編集長 田中幸子です。 季節はあっというまにめぐり、秋も深まる季節となりました。 この間、私事になりますが、オーストリアからアイルランドへ引っ越して、少しばたばたしておりましたが、もう「まけないぞう」がアイルランドの人たちにも歓迎の笑顔で迎えられています。 親戚の子どもたちが、イギリスへも持ち帰って広めてくれています。
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新しい土地へ移って初めての出会い・・・「自己紹介」をする機会がたくさんありました。そうすると、自然と「まけないぞう」の話になっているのです。
「前はこれこれの仕事をしていたのですが、仕事をやめて4年前にヨーロッパへ引っ越してきました。アイルランドへ来るまえは、オーストリアにいたんですよ。でも、そしたら日本がたいへんなことになって、それで遠くからでも日本を応援できるボランテイアをやっているんですよ」
「なるほど〜」
「まけないぞうという、特別のぞうさんがいて、それはご存知のように2011年に大震災と津波で大きな被害を受けた日本の被災地の方々が作っているものなのです・・・」
「そうそう、津波の映像はこちらでも見ていたよ、今はどうなってるの?」
・・・そんな調子です。
知り合いになった人たちが、ありがたいことに、どんどん「まけないぞう」の応援に加わってくれています。
「焦りは禁物、じっくり、ゆっくり進めていかなければ」・・・と頭のなかでは思っていても、ぞうさんたちがアイルランドやイギリスのひとたちを瞬く間に笑顔にしてしまう様子を見ると、もう嬉しくて、思わず調子にのってしまう引っ越しし係です。
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さて、このご挨拶を書いている10月26日現在、東京へ一時帰国中です。
夏、アイルランドへの引っ越しが一段落したころ、日本から「2020年 オリンピック」のニュースが飛び込んでビックリ仰天。
ニュースをきいて、個人的には素直にお祭り気分で喜べませんでした。それは、被災地の「まけないぞう」の作り手さんたちの姿が念頭を離れないからです。
いったい、東京に招致するのに、どれだけのお金が動いたのだろうか。これからハコモノにどれだけのお金を使うのだろうか。原発の問題も、仮設住宅や復興住宅に住んでおられて震災から2年半を経過した今も、先の見えない不安に毎日さいなまれ続けておられる方々がたくさんいらっしゃるということを、どうするつもりなのだろうか。自主避難で二重生活をしておられる方々、放射能汚染の恐ろしさにさらされながら、それでも忍耐で毎日を生きておられる方々のことを、世界に向かってウソをついて平気でいられる政治家はどう思っているのだろうか。世界中の目は、厳しく日本の現実を見つめているのに。
今年の夏も、日本の各地を次々に襲う災害・・・次の大地震が来たら福1はどうなるのだろうか。
・・・ そういう、いろいろな思いが、どんどん渦を巻いて止まらなくなりました。
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10月19日には、上智大学創立百年記念のイベントで「被災した方々への思いを風化させない」という強い決意でドキュメンタリー映画を作り続けている我謝京子さんの応援をすることに決まっていましたが・・・やはり被災地へ、いちど行かなければ!!
遠くから応援してきたけれども、被災地へは2011年8月の仙台に行っただけで、まけないぞうの作り手さんにはお目にかかったことのない、田中でした。
そんなわけで、10月22日から、ほんの3日間ではありますが、岩手県の遠野市を拠点に被災地の作り手さんの寄り添いを続けている「まけないぞうのお姉さん」増島智子さんのところをお訪ねし、作り手さんのところへ連れて行っていただくことにしたのです。
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増島さんに釜石、大船渡、陸前高田、遠野に連れて行っていただき、3カ所の仮設住宅と、現地で支援をされている方々にお目にかかりました。
なんと被災地NGO恊働センター代表の村井雅清さんもいっしょに来てくださいました。
いろいろなお話を伺い、実際にお訪ねして世界じゅうに「まけないぞう」が広まっていて私たちもぞうさんパワーに支えられていることをお伝えしたいという念願がかなって、とてもうれしい旅行になりました。
しかし同時に、それぞれの方々の直面する毎日は厳しいものとほんとうによくわかりました。
作り手さんのみなさま、暖かく迎えてくださいました方々、増島智子さん、村井雅清さんに、心より御礼を申し上げます。
現地訪問レポートは、これから順に載せてまいります。
釜石 上中島仮設にお住まいの佐々木芳子さんにいただいた小さなまけないぞう。
何も残っていない 空白になってしまった場所。10月23日 陸前高田