28日はmakenaizoneの田中幸子編集長と四谷三丁目のくりやで一杯。
といっても下戸のわたしは、頑張っておちょこで3杯ほど日本酒で、端から端までおつまみを注文しながら、makenaizone談話をば。
普段ヨーロッパに住んでいる田中と顔を見ながら、愚痴もいいながらトコトン話すのは、とても大切な時間だ。
2011年の5月から「被災地と離れた所からでも、できる支援がある」というコンセプトで「まけないぞう」をご紹介してゆくようになって、早いもので2年半になる。
makenaizoneというのはNPOでも何でも無く、「まけないぞう」を応援する単なるボランティア集団なので、当然ながら活動費もすべて自腹。だからこそ、しっかりとした理念でメンバーが繫がり合っていないと、すぐに目的が分からなくなってしまいがちだ。
言ってみれば、この間、田中幸子が居てくれていたからこそ、これほどまでに大きな広がりになったのだし、彼女とならばきれいごとではなくて、本音で語り合えることができるので、私たちの理念や目的がブレることは一度もなかった。それはお互いに感謝しているし、これからも命の続く限り支援は続けようと思っている。
とはいえ、東北の復興への道のりは依然として遠い。まけないぞうの作り手さんたちのモチベーションが下がってきていることも確かなことで、高台移転や災害復興住宅への住み替えなど、被災当初の悩みからもっと多様な個々の悩みに発展しているという。
そうそう、だから、まけないぞうが一頭も被災地で作る人が無くなった時、復興が完了するということなのだ。その日を目指して、まけないぞう!、と、先週、東北へ作り手さんを訪ねる旅から帰ってきたばかりの田中幸子から、そんな話を聞きながら久しぶりで2人で話が弾んだ四谷三丁目の晩だった。
ちょっと飲み過ぎ食べ過ぎだなぁ、と思いつつ22時半ごろ家に帰って、シャワーを浴びて出てきたら、ボスからのメールを発見。
「連絡違いで予定の原稿が一本足りない。ついては明日の朝までにこないだの原稿を倍に膨らまして欲しい」
ガ〜ン! 今寝ようと思っていたのに……。
そんな訳で、2000字の原稿を4000字に太らせることになった。ま、初めに大きなアウトラインから絞って絞って書いたものなので、贅肉を付けるのにはそれほど苦ではないし、書き足りなかった部分も補充できたのではあるけれども、気がついたら午前4時過ぎになっていた。
とびきり楽しい時間のあとには、とびっきり渋い時間がやってくる、人生そんな甘くないという見本のような一夜物語。明けて雨の火曜日、本当に眠たい午後だ。