秋の園遊会は毎年開かれている催しだが、いつも新聞紙上には小さくテレビでも1〜2分ニュース番組で流される事が多い。今年は昨日、秋麗の日に行われた。
わたしのクライアントがこの会に招かれることがあるので、このイベントの重さについて見聞きする機会がある。招待者は一様に晴れやかなる緊張感を持って、その日を静かに待っている。
それにしても、何でこんなに騒いでいるのだろうか。山本太郎議員の行為が辞職に当たるなどと、実に馬鹿馬鹿しいことだ。凶器を向けた訳でも何でもあるまいに。
むしろ、天皇皇后はあの会場に居た誰よりも、地震災害・原発の被害を心配されていることだろう。もしかしたら山本太郎その人よりも、だ。何故わたしがそう思うのかについては極めて個人的なことなので記すことは避けるが、このお二人が今までの災害に対して、どれたけ関心をもたれてきたのかは新聞記事検索が可能であるので、興味のある方は調べてみて頂きたい。
災害直後の被災地の避難所という場所に行ったことがある人は世の中にそれほど多くは居ないだろう。そんな場に自発的に通われている天皇皇后の姿には、時に心を打たれることがある。
この国の天皇制については、家制度や戦争責任など諸々の理由で、多いに賛成とは思えないわたしだが、天皇皇后の災害に対する思いには、時として本当に驚かされるし原発事故に対しても、だから相当な関心を持たれていることには間違いない。
話を戻そう。山本太郎参議院議員のことだ。
彼も本当に真っすぐな性格で、時にその真っすぐさが周囲への配慮を欠く行為に映ることがある。直球しか投げられないからだ。
しかし今回、天皇に凶器を向けた訳ではないのだ。彼が心底思っていることを伝えたかったのだろう。
皇室の政治利用が憲法に抵触する云々とかいうけれど、しらーっとブエノスアイレスで流暢なフランス語のスピーチをして頂いたり、主権ナントカの日に来て頂いて万歳三唱のサプライズ大会をしたり、そういうのは「OK」で、脱原発派の一年生議員のお手紙は「NG」だというのが日本国憲法のルールだとでもいうのか。
しかし、そういう暗黙の黒いルールを野放しにしておいた結果、いつの間にか54基もの原発ができてしまった、というのが日本という国であることは間違いないのだろう。
そうした今、天皇皇后は54基の原発をどう思っておられるのだろうか。
きれいな水と四季折々の美しい山河、周囲をぐるりと海に囲まれた豊かな恵みのある国だったのだ、あんな事故がある前までは。こんな国に誰がしたのだ、と、だれよりも立腹されてはいないのだろうか。そこで暮らしてきた民の健康を、誰よりも心配されているのではないだろうか。
こういう事で大騒ぎして山本太郎を排除しようとする政治家とマスコミに、わたしは静かに問いたいのだ。
止むに止まれぬ思いで手紙を書いた山本太郎議員と被災者を慮る天皇皇后、この両者にはそれほど大きな違いがあるとは思えない。
こんなどうでもいい問題をことさら大きく取り上げて、事故そのものを忘れさせようとしている政治家や似非愛国者たちとそれを手伝うマスコミの醜態に、暗澹たる想いがする晩秋の夜である。