あらゆる分野の人々の反対を押し切って、特定秘密保護法が通ろうとしている。
与党の強行採決を避けて、形だけの修正案で妥協して通してしまって良いのだろうか。
「情報公開は民主主義の通貨である」とラルフ・ネーダーの言葉だ。
何が秘密なのかも分からない状況に押込められれば、この国のヨチヨチ歩きの民主主義は間違いなく死ぬるだろう。
わたしが30年近く生きてきた医療界は、長らく情報が閉ざされてきた世界だったが、カルテ開示から始まって、今ではありとあらゆるものの情報開示が進んできた。
元はと言えば、医療費を削減するために官僚主導で強制的に行われてきた「情報開示」だったのだが、今となっては全て至極あたり前の日常風景になっている。
こうした情報開示、もっといえば脱専門性の試みは、何も医療界だけに起こったことではない。インターネット時代を迎えて、あらゆる分野で起こってきたはずだ。
然るに、なぜ今、権力側が頑丈に情報を閉じようとしているのだろうか。
もっと言えば、日本政府のやり方は諸外国からも警告が発せられている。
第一、2013年6月に発せられた、70カ国500人の専門家が2年間論議して出された指針である「ツワネ原則」を全く無視して、日本は世界で最も貧しい情報しか得られない国に成り下がろうとしているのだ。
防衛や外交問題だけならいざ知らず、それ以外の範囲すら特定されない「秘密」など、どう考えても、この時代錯誤の法律に賛成する訳にはいかないではないか。
こんな時代に、筑紫哲也さんが生きていたら何と言ってくれただろうか。