気がつけば、母の祥月命日が過ぎて今年もあと10日で終わる。
いつでもバタバタしていて落ち着かないのだが、年末はより一層そのバタバタ感が増す。
と、個人的にも暮れは誰だってバタバタ忙しいのに、特定秘密法が強行可決され、続いて東京都知事のスキャンダルがあったりしているうちに、いつの間にかまた「原子力を重要なベース電源に位置づける」というエネルギー基本計画が発表された。
夏に海渡雄一弁護士に会った時に、「秋から原子力ムラがものすごく巻き返してくるから覚悟しないとね」と言っていたが、本当にものすごい巻き返しぶりに皮肉ではなく心底、感動すら覚える。
この決定を下した人々は、今、この国を滅ぼすことに加担していることを、承知しながら生きているのだろうか。
日本列島は今、とてつもない地震活動期に突入している。
この大きな事実から目を逸らすことは、自ら命を断ち切ることに等しい。
東日本大震災は決して唐突に始まった訳ではない。繰り返されてきた無数の宮城県沖地震、2008年6月には内陸型としては異例に大きなM7.2の岩手・宮城内陸地震が起こった。
今考えてみれば、これらは東日本大震災の大きな前触れだったのだ。
そうして、私たちは原子力発電所を動かし続けながら、2011年3月11日という運命の日を迎えた。
福島原発の事故以来、わたしのように長らく地震災害に関わってきた者だけでなくとも、原子力事故の凄まじさを嫌というほど味わったのではなかったのか。
あの事故からまだ3年も経っていない。にもかかわらず、まだ原子力をベース電源とは何ごとなのだろうか。
今回のTEPCOですらこれほどの事故処理しか出来ないのに、他の地域で例えば東海地震に伴って浜岡原発に事故が起これば、中部電力にどれだけの責任が負えようか。
浜岡原発に事故が起これば、6625本の燃料棒が起こす手ひどい被害は、横浜や東京など3500万人の生活を脅かすことになる。
福島原発の事故を見て、「その先」を想像できない人々は、歴史がそれを証明するまで一度も、日本が終焉を迎えることなど考えていないのだろうか。
国なんて簡単には死なないさ、そう思っているのだろう。それよりも自分の利益が大事だと。たった今の利益が大事だと。
しかし、だ。本当に、原発の危機的な危険性は間もなく歴史が証明するだろうが、その時には一体、誰がどんな責任を取るというのだろうか。