今夜は久々の木仙会。
寝てしまうかなと思いつつ、座禅を組む。
無になる、空になるということを意識すると、なかなかスイッチが切り替わらない。
1995.1.17。あの日は火曜日だった。
長らく闘病していた母が死んで4週間。誰かに起こされて、テレビをつけた。
そこからは、神戸に入ることだけを考えていた。
茅場町にトレッキングシューズを買いにゆき、横浜フリューゲルスのGKだった森さんが貸してくれたグラウンドジャケットを着て、土曜日の朝、伊丹空港に降り立った。その後は・・・
木村清孝先生の声で静かな現実に戻った。
間もなく、神戸の街に19回目の1.17の朝が来る。
こう言ってよければ、わたしが最も自分らしい目を獲得した日、ではなかったか。
だからその目は、今も、これからも、瞑ることはできない。
原発を止めなくては、と、誰よりも切実に思う。
最近では、「どんな手段を用いても」とも思う。
止めたい人の理念や、止められない人の利権や、そんなことなどどうでもいいという無関心の人の空気など、それぞれの人々に数多の事情があることだろう。
みな、それぞれのフィールドで関心を惹起してゆくしかないのだろうが……。
しかし、止まってこそ国があり、動いていれば国は滅ぶのだ。こんな簡単な事実を、どうやって皆が共有できるのだろうか。
木村清孝先生を囲んで新年会兼、今年度で東京から離れられるということで送別会にあいなった。寂しさをこらえても、自然と原発を巡る話しが話題の中心になった。
こんな哲学的かつ挑発的な禅問答が許される場がなくなってしまうことが、今のわたしにはいたく寂しいのではあるが。
日本橋の1.16の木仙会から、神戸の1.17に切り替わる晩だ。