今年の311に報道ステーションでオンエアされた、甲状腺癌と被ばくに関して。
この「報道ステーション」は鋭い所を突っ込んで方々に取材に行っていて、素晴らしい。
第一に、チェルノブイリ事故後に初めて分かった事実は、「原発事故に因って小児甲状腺癌が多発した」という事実だ。これは生年月日と癌の発生で、因果関係があるというのは分かっている。
当時どうやって癌を発見したのかというと、1990年ぐらいまでは「視診・触診」であったという事実。その後、ヨーロッパからも医療支援が入り、最も大規模に医療支援をしたのが日本である。
日本の医療支援は1991年から5年間、笹川財団に因って行われたもので、20万人の子供たちの検診をやった実績がある。この支援はソ連の5箇所に検診センターを作って、そこで甲状腺エコーもやっていた。この検診センターは今でも各国(ウクライナに2カ所、ベラルーシに2カ所、ロシアに1カ所)に引き継がれて運営されている。
1991年当時、なぜ甲状腺エコーを始めるようになったかという理由は、恐らく視診や触診でそれと直ぐに分かる甲状腺癌の子ども達が増えていたからだと思う。つまり、1991年頃のチェルノブイリでは中等度から重症の子供の甲状腺癌が多発していた可能性がある。
もう一つ大事なことは、当時のエコーと現在のエコーの精度は、格段に今の方が解像度が良いという事実だ。
従って、もしも1986年のチェルノブイリ事故直後から、現在と全く同じ精度のエコーを使って検査をしていたら、どうだったのか?
そう考えると、答えは一つではないかと私は思う。
今日本で見つかっている甲状腺癌は、殆どが早期のもののはず。
さらに言えば、福島の問題を大きくしているのが、こういう事をしっかりと福島県・北関東などの線量の高い地域に住まう人々に、説明をしてこなかった医療者の存在だ。
長崎大の山下俊一氏は前述した笹川財団の検診センターを、仕切っていた長瀧氏の弟子で当時のことを最もよく知っているはずだ。その人が長崎大から抜擢されて福島県立医大の副学長になられた時に、全く被災者のことを考えず、ひたすら国と県の方ばかりみていた。
つまりこの問題は、初期の131ヨウ素被ばくに因る小児甲状腺癌は、しっかりとそういうご説明をすれば、今の日本の医学のレベルではこれほどの混乱を起こすことではなかったのではないかのではないだろうか。
混乱を大きくして不審感を抱くようにさせてしまった、国と行政と県立医大の医師の態度、ここが一番の問題だと思うのだ。
ところで、県立医大の肩を持つ訳ではないが、原発の大きな事故が突然起こった時、世間が思うほどスムーズに充分な検査体制が揃うのだろうか。そういう思いで福島県立医大の「事務方」を考えれば、実は3年間でよくやった方ではないだろうか。
逆に臨床医の中心に徹ししきれなかった山下氏の罪は深い。事務方をも兼ねてやろうとした歪みは、全て被災者への不審感になってしまったのだから。
最後に、こうしたシビアアクシデントに備えて、事前に医療体制のことまで考えた原子力行政が必要だったのだ。本来私たちは、そこまでチェルノブイリ事故から学ぶべきだったのだろう。
だからこそ、事故に備えてそんな準備までしなければ住民を救えない原発など、全く人類には必要ないものだと、改めて声を大にして言いたいと思う。