1923年(大正12年)9月1日、午前11時58分にそれは起こりました。
震源は神奈川県相模湾沖。マグニチュード7.9の地震でした。大正関東地震という地震です。
神奈川県と東京府を中心にたいへん大きな被害が出たので、関東大震災と呼ばれるように
なった地震です。
「災害には顔がある」これは、関西学院大学災害復興制度研究所の山中茂樹教授のことばです。
災害が起こったときには、その災害ごとに象徴的な事象が現れるという意味です。
例えば、今回の東日本大震災の「顔」とは、津波と原発事故でしょう。
同様に、関東大震災の「顔」は、強風に煽られて起こった、火災旋風による火事でした。
関東大震災ではこの火災旋風などによって、10万人以上の人が亡くなりました。
ここで大正時代というのを少しおさらいしましょう。
日本の大正時代は、世界史的には第一次世界大戦とその戦後に重なります。1914年(大正3年)、第一次世界大戦が勃発しました。
戦前まで日本は景気低迷をしていましたが、戦争参加国の輸出の縮小や軍備特需などによって、第一次世界大戦に因って債務国から債権国へと、一気に日本は国際収支の危機を切り抜けたのでした。
街では好景気にわき、それとともにロシア革命に代表されるような世界的なデモクラシー思想を背景にして、日本でも大正デモクラシーと名づけられた民主主義的な風潮が盛り上がり、明治以来続いていた藩閥・官僚主義に反対する人々が、活発に社会運動を展開していました。
こうした風潮を政府当局はあまり快く思っていませんでした。
そこで政府は1920年頃から「治安維持法」制定の準備に入っていきました。
さて、そんな時代の中で迎えた運命の1923年9月1日、午前11時58分でした。