国会答弁は仕事で全く見られないので、ニュースでのダイジェストか新聞などで見るしかないのだが、それにしても聞こえてくるのは特定秘密保護法の異常性だ。
もし海外に派兵をする事態に陥ったとき、その事態自体が秘密保護法に指定をされていれば、国民にとって全く与り知らない所でトップ同士で決めてしまえば、派兵するまで私たち国民には何も知らされないことになる。
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この法律が通ったときから、その懸念は重々あったのだが、こうして国会で討論されてみて初めて、その異常性を認識する次第だ。
これはもう、私の知っている「民主国家」ではない。
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昨日の朝日新聞に早稲田大学の豊永郁子さんのインタビューが載っていたが、それを読んでストンと腑に落ちたことがあった。
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以下、氏のインタビューの中のから
「東西冷戦の時代には、共産主義でなければ、自由主義陣営の一員を名乗れた。でも今は、各国が「リベラル・デモクラシーの国なのか」が問われています。その前提となるのが「法の支配」の徹底と「人権」の尊重です」
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そうか、この国が今、おかしいと感じているのは、全くもって「リベラル・デモクラシー」からどんどんかけ離れているからなのだ。
自分の国の最高規約である憲法を勝手にねじ曲げ、人権意識も何もあったものではなく極右の人々とのシンパシーがある政権である。
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彼らはよく「価値観を共有する」という言葉を使うが、欧米の、口幅ったい言い方をすると「先進国」は「リベラル・デモクラシー」の国々なのだ。
しかし日本はそうではないではないか。
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ね!ストンと腑に落ちるでしょ?
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という訳で、問題はどうすれば我々は、「リベラル・デモクラシー」の国になれるのか、ということなのだと。
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まずは、明日の今ごろに発表になる「ノーベル平和賞」が欲しい。
授賞式は12月上旬のオスロだが、どうしても受賞して、みんなでオスロに行きましょうや!
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何だか、それが「リベラル・デモクラシー」への大きな一歩になるような気がしてならないのだ。