島本慈子さん

2011年10月17日 月曜日

17日の閉診後、ジャーナリストの島村慈子さんがクリニックを訪ねて下さいました。
島村慈子さんは、阪神・淡路大震災の後に執筆された『倒壊』では、その圧倒的に緻密な取材力と類想を見ない優れた視点による問題提起で、学者や法律家などの災害復興学陣営の大向こうを唸らせた方です。

震災で家を失ったにもかかわらず残っていた住宅ローンは免除にならず、新しい家のローンも支払わなくてはならないといういわゆる『二重ローン』の問題点に、初めて光を当てた傑出したジャーナリストが島本慈子です。

あれから17年近くが経って、全く同じ命題に対して、この国はもっと大きな浮力を付けて挑んでいかなくてはならない時代を迎えてしまいました。
今回の震災では、二重ローンの問題が早くから指摘され、立法府のみならず市井のいろいろな分野の方々にも関心をもたれることとなったのは、ひとえに15年前の島本さんの地道な取材が功を奏したからでした。
もちろん、だからといって被災地における二重ローン問題が、全て解決されたわけでは決してないのですが……。

ところで、ジャーナリストとしての島本さんの視点には一環して貫かれているものがあります。
「第二次世界大戦後のこの国が選択してきた道のりは果たして正しかったのか」ということです。
今噴出している種々の問題に対して、その水源を辿ってみれば、必ず同じ地下水脈に辿り着くことに気づきます。それが「この国の戦後の選択」という地下水脈であると、わたしも同じように感じています。
そんな話に夢中になりつつ、東北の復興に関して島本慈子さんの閃きを伺いつつ、時の経つのも忘れ、おでんを囲んでの新宿の夜は更けてゆきました。

話が佳境に入ったころ、なにげなく放たれた島本さんの質問に、一瞬わたしはたじろいで唸ってしまいました。
「青木さんがまけないぞうを、世界に向けて紹介しようとしているのは、”never give up”と表現しようとしているの?」
島本さんは小さいけれどもしっかりと誠意と包容力のある声の持ち主です。その優しい声から放たれた鋭いことばに、わたしはしばらく言葉を失って、考え込んでしまいました。

わたしはmakenaizoneの仲間達と確かに、never give up elephantを世界中の皆さんに紹介しているけれど、自分自身の気持ちはどうかというと、真っ正面から「負けないぞうは、never give upです。絶大なる応援をお願い致します」とは思っていなのではないだろうか。
なぜなら、被災地にはnever give upといえない方々がまだまだ沢山いらっしゃる現実がある。その方々に「この災害に負けないで立ち向かいましょう」などとはまだまだ言えない自分が居る。それは一体、何故なのだろうか、と。

実は今現在、まけないぞうは全国からひっぱりだこなので、被災された方々にひとりでも多く、まけないぞうを作って頂きたいと心から思っています。
一方で、家を失い、大切な人を失い、郷里を失った方々に、何かを強いてお願いするということがわたしにはまだ、できそうもありません。

けれどもそれは、被災された方々のためだけではなく、もしかしたらわたし自身がこの震災から受けた、大きな心の動き・心の揺れに、自分が未だ充分に対処できていないことが原因なのかもしれない、ということに初めて思い当たったひとときでありました。

そんなこんな5時間近く島本さんとお話をして帰路につき、島本さんがおっしゃったいろいろなことを反芻し、考えながら今パソコンに向かっています。
それにしても、たったひと言島本さんが放たれた言葉で、自分自身でもよく分からない深層心理の一番やわな部分を、一瞬にして意識せざるを得ない状況になろうとは思ってもみなかった夜半でした。

こうして時々、島本慈子さんとお会いしてお話しすると、頭の中の問題点がキッパリと整理ができたり、逆に自分の稚拙さゆえに動揺を抑えられなくなったり、本当に言葉では語り尽くせないほど有意義な時を過ごすことができます。
さ、また次にお会いできるまで、もっとアンテナ磨きをしながらしっかりと前を向いて歩いて行かないと、と。


ページトップへ Top of page