朝5時15分ごろ、被災地NGO恊働センターへ到着しました。村井さん、細川さんたちが迎えてくださいました。
前日から掃除して準備されていたロウソクが点され、静かな庭は厳かな雰囲気です。屋内は村井さんのだるまストーブで暖かいですが庭に立っていると寒いです。時間まで屋内で暖まりながら話をして待ちます。
新潟、岩手野田村から来られた人たち、名古屋のボランテイアグループの方たち、恊働センターのスタッフの方たち・・・次々に集まってきた人たちでいっぱいです。
そろそろ時間が近づき、庭に出て観音像を囲んで皆が立っています。
5時46分。黙祷をささげたあと、順番に観音様にお線香をあげます。
田中といっしょにオーストリアから今日の追悼式に参加したピンク色のまけないぞう 大崎桃太郎くんも感激の面持ちです。
厳かな中にも和やかな追悼式。お線香の煙がたなびいて、まだあたりは暗いのです。
17年目のあの日のこの時間。田中は東京で何も知らずに眠っていたのです。
昨日まで元気だった幾千もの人たちの命が奪われた、あの朝。
街が破壊され生活を人生を奪った震災。そして、そのあとの年月。
田中は今まで自分のストーリーしか知りませんでしたが、村井さんたち皆さん 当事者ひとりひとりが、違った毎日を生きて、積み重ねてきたのです。
テントに生活しながら活動を始めた村井さんたちの厳しい毎日を想像して、そして 今にいたる歴史を考えました。
列を作りながら、須磨区にお住まいの西村真次さんとお話ししました。
西村さんは95年の震災のあと、仮設住宅を「男はつらいよ」を見せて歩いておられたそうです。
「今また、その頃の場所をまわっているんですよ」と話しておられました。西村さんの息子さんも、被災地NGO恊働センターの仕事を手伝っているのだそうです。
観音様にお線香をあげているのは、makenaizoneでお願いしていた 和てぬぐいのぞうさんの試作品を作っていた柚原さんです。
増島さんが3.11まで神戸でしていた仕事と住まいを引き継いで、神戸で働いています。
増島さんたちに「てんねん」と言われて にこにこしていた 優しい柚原さん。
はじめて会って(みなさん 初めてですが)とてもうれしかったです。
岡本さんも、柚原さんも、増島さんも・・・・ みなさん すばらしく きらきらの目を持つ 素敵な女のひとたちでした。
そして すみずみまで目を配っておられる細川さんの存在感。
ベテランの吉椿さんをはじめ、福岡さんや頼政さんたち若いスタッフの方々のエネルギー。
想像していたけれども、想像がおよばないほど深く大きく支え合いの心が生きている「被災地NGO恊働センター」でした。
1月17日のこの追悼式のために集まっておられた各地からの仲間たちの絆が、熱く響き合う 元気のある追悼会と感じることができました。
涙を流したり悲しみに逆戻りすることなく、前を向いて できることを ひとつひとつやっていこうという心で静かに迎える1月17日。
「この日が来ないと神戸は正月にならないんですわ」と話しておられた村井さんの言葉の意味が、はっきりわかりました。
お線香を皆があげ終わって、村井さんの挨拶です。以下のようなことを話されました。
「今年もまた 原点に立ち返る この日の追悼を皆さんといっしょに集まって迎えることができたことに感謝です。
今年は特に皆さん 3月11日の東日本の震災のことを思って今日のこの追悼式に参加したことと思います。
先日、ニューヨークに住んでいる監督が「3.11 ここに生きる」という映画を作りました。東日本の各地で被災した女性の話が出てくる素晴らしい映画です。
日本国内での封切りはまだいつになるかわかりませんが、決まりましたら知らせますので是非見てください。
そのなかにある「ここに生きる」ということ。被災地の方々がそれぞれの場所で生きる、という意味もあるでしょうが、わたしたち一人一人が、「いま、ここで」ひとつひとつのことと大切に向き合いながら一日一日を生きるという意味も含めることができるのだと、わたしは受け取っています。
この追悼の日 目の前のひとつひとつを大切にするということを、もういちど確認したいと思います。
みなさん、今年もまた、そのような考えを共にして、いっしょにやっていきましょう。
どうぞよろしくお願いいたします。」
皆 心がひとつになって、互いに「どうぞよろしくお願いします」と言っていました。
田中も参加させていただき、深く感謝いたします。
makenaizoneも今年また、この気持ちを忘れずにやっていきたいものと思いました。
では、田中の今回のレポートは、以上です。
どうもありがとうございました!!
田中幸子