我謝京子さん「3.11 ここに生きる」を携えて世界ツアーへ☆ 現地リポート(1)NY〜仙台〜Taiwanへ

2012年3月9日 金曜日

2012年3月 

NY在住のジャーナリスト・映像作家の我謝京子さんが 映画「3.11 ここに生きる」を携えて世界へ旅立ちました。
映画「3.11 ここに生きる」について、こちらもご覧ください。

ニューヨークから仙台>台湾>そして震災から1年の3.11には、パリでの上映です。
我謝さんの現地リポートをご覧ください。

まず、仙台〜台湾の様子から。

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3月3日 Good Morning! It’s time to pack for my world tour.
おはようございます!さあ、世界一周311:ここに生きるの旅のために荷造り開始です。
震災を風化させないために微力ながらがんばってきます。
I will go on a tour to talk about the earthquake so people will not forget that day.

上映世界一周ツアーは雪の仙台から始まりました

仙台入りする前にJwaveでなぜ311ここに生きるをつくったのかを話しました。
そしてここでも震災を風化させないために世界中でこの映画を見せて共に未来を考えることの大切さを強調しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

I arrived Sendai.
Our film showing starts at 7pm.
仙台到着しました
上映は7:00からです。

仙台では、最新バージョンのはじめての上映で緊張して見た。

東京とは違う静かな反応だった。
でもそれは、つまらなくて静かな反応ではなくて、深く映画を味わってくれた静かさだった、今回も映画に登場してくれた方々が3人も雪と雨の中きてくださった 感謝だ。
彼女たちなくしてこの映画は、成立しなかったから・・・
ありがとうございます。

 

 

 

3月5日 今、空港だ、間もなく台北へ向けて飛行機に乗り込む。

日本から台湾へ。

3月6日 無事、台北到着。
あさって8日は台湾女性の日。この日に映画は、新竹市、花蓮市、高雄市で上映され、9日には台北で上映だ。ということで女性の日には、台湾のシリコンバレーと呼ばれる新竹市での上映会にも立ち会うことになる。
この映画が日本と同じように地震国である台湾でどう受け止められるのか、また報告します。

3月7日
きのうは、政治家を目指す女性と映画祭のディレクターと通訳のかたと4人でランチしました。
そこで政治家志望の彼女が、「私が男女が平等な社会を目指すのは私が女だからではなく、人として平等な社会をめざしたいからだ」といったのが印象的でした。臨月の彼女が話す姿は、とてもたのもしかった。彼女は映画祭の理事でもあり、今回50人観客動員してくれました。彼女の友人50人は、忙しい中で、311だけを見に来てくれるということでまたまた感謝です。

3月8日
いよいよ、きょうはアジアプレミアとなる新竹市での上映会です。
台北以外に行くことは今回初めて。
台湾女性の日に上映できてうれしいです。

 

会場についたらびっくりした巨大な311:ここに生きるのポスターがあったのだ。

会場にはたくさんの人が詰めかけてくださった。
Q&Aでも感動したとのメッセージがたくさんあった。高校生は日本語で質問してくれた。
私は台湾のひとたちからの支援に感謝すると、台湾の方々は、私たちは忘れないこれからも支援を続けると話して下さった。
そして、日常生活というものがなんと尊いものか、そして困難に直面したときに励まし合うことがなんと大事かをこの映画でよくわかったと話してくれた。
あれだけの災害のあと、もうひとはひとりよがりに自分のことだけ考えて生きていくことはできない。
ひとりひとりがお互いに助け合うことの大切さ、日常生活の尊さを今回の地震で私たちは学んだと思う。

私の体と比べると、いかに大きなポスターだったかわかります。ほんとにびっくりしました。
だって町を運転していたら、きゅうにこのポスターが博物館にでんとはってあったのですから

 

 

 

 

ここが上映会場となった影像博物館です。

きょうの新竹市での上映会はとても意味深いものとなった。

まず会場は影像博物館。ここは1930年代に日本が統治時代にたてた映画館だった。ここには、戦争の足跡ものこっていた。日本語を話すガイドさんが教えてくださった。この博物館前には防空壕がいまも保存されている。『B29の空襲をさけるためです』ということだ。そして兵士たちは、この映画館で映画をみてから戦地へとむかったのだそうだ。1895年から1945年までの日本統治時代。そのころにつくられた市役所や公会堂など建物の多くが今も使われている新竹市、一方で川を渡れば、そこは台湾のシリコンバレーとよばれるサイエンスパークがある。多くのハイテク企業がここに集まっている。そのような新旧入り交じる市での上映が日本国外初の上映になるとは意義深い。そしてこの映画をもうご覧になったかたは分かると思うが、実は竹が大きな意味を今回の映画はもっている。それが新竹市で、新しい竹の市で上映されるとは。。。
私の友人がいうように「京子ちゃん偶然って世の中にないんだよ」ということを実感した一日だった。
観客の一人が聞いてきた。震災後日本人は変わったか?と。私は希望もこめて「変わったと思う」とはなした。
あれだけの災害をあとにもう人は独りよがりには生きられない。お互いがお互いを尊重し励まし合って助け合っていく社会になってほしいし、そのために自分はなにができるのか考えながら私は、毎日を生きていこう。
実は台湾に来る前に日本で知らない女性に、私がひとりで巨大スーツケースを持って階段をおりることができないでいるところを助けられた。なんだか911のあとにやさしくなったニューヨーカーたちを思い出した。たったひとつの出来事だが、確実に日本人はやさしくなっているということを感じた瞬間だった。

さあ明日は台北での上映だ。                            (つづく)

 


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