神戸の被災地NGO恊働センターから4月の中旬にクリニックに送られてきた20頭のまけないぞうは、すぐさま何人かの患者さんの手にわたりました。
わたしの拝診している慢性疼痛は、年間を通してみると、時々痛みの山が急峻になって、治療や安静よって痛みが落ち着いていき、またタイトな仕事やストレスによって痛みの山が急峻になったり、と痛みの山を上ったり下ったりします。(わたしの仕事は、ですから患者さんの痛みの山を、できるだけなだらかにするお手伝いをすることなのです)
つまり初めてまけないぞうがクリニックに届いた時点に、ちょうどそんな痛みの山にさしかかって治療をされていた患者さんこそが、その記念すべき第一弾のまけないぞうに魅了された方々でありました。
ペインクリニックにみえる患者さんですから、その時点でみなさん痛みを抱えているにもかかわらず、段ボールから出てきた沢山のぞうを見たとたん、異口同音に目を輝かせて、手に取って頬をよせ胸に抱き寄せて喜んでくださったのです。
もう四半世紀以上も医者をやっていて、わたしは自分の患者さんのこんな光景を見たことがありませんでした。こんなにも直感的に痛みの患者さんを喜ばせるものがあったでしょうか。しかもそのタオルのぞうは、被災地の方々が作ったものであり、それを買い上げるということで直接的な支援ができる仕組みをもっているのです。
東京の片隅で、被災地にボランティアとして入ることもできないけれども、被災地のことを想えば何かしら手伝えることはないだろうかと心に懸けていた痛みの患者さんが、本当に心から支援できるまけないぞう、、。
なんということだ。うんと前から村井さんが売ってはったまけないぞうが、こんなにスゴイものだと何で今まで気づかなかったのだろう……わたしは益々、このまけないぞうをもっともっと多くの皆さんにご紹介していかなければ、と、心から思うようになっていました。
そうして震災について、被災地支援について、患者さん方と朝から晩まで語り合った2011年の春でありました。
そんな5月のはじめに、この一連の「みんなの想い」に何か名前があった方がいいよねと大坪さんからメールがきたのでした。確かにそのときは、ただ漠然と、名前があったらいいかも、と感じただけでした。
すると次の週の事でした。あっという間に大坪さんから沢山の「みんなの想い」の名前の候補が送られてきました。それぞれに面白い名前が20個ほどありました。その中でたった一つだけ、わたしの胸にサックリと響く名前がありました。「まけないゾーン」。
それがmakenaizoneの誕生の瞬間でした。
不思議なもので、何ひとつないない処から、makenaizoneという名前が与えられた瞬間に、それはまるで光を放ってわたし達の往くべき道筋を見せてくれるかのように輝き始め、そうして鼓動を打ち始めたのでした。わたしはその週末に、真っすぐに降り注ぐ光の道しるべに沿って、webのためのドメインを取り、メーリングリストを立ち上げていました。今振り返っても、それはなかなか合理的な説明ができないほどの出来事でした。
するとその週末、木版画家の岩崎みわ子さんが治療ベッドの上で、ぞうのモチーフの下絵を描いてくださいました。それが金曜日。そのデッサン画をその場で大坪さんに写メールをして、次の週の火曜日には、みわ子さんの下絵からデザイナーの渡辺さんがカラーの原画に仕上げてくださり、大坪さんの事務所からバイク便でクリニックに届けられたのでした。まるで手品でもみているように、目の前でみるみるmakenaizoneに息吹が吹き込まれていったのでした。
こうしてmakenaizoneは2011年の5月、銀座の片隅で、ひょっこりと歩き始めたのでありました。