金曜の夕方 官邸前で考えた

2012年6月23日 土曜日

2012年6月23日 10:20

6月22日、金曜日の外来を終え急いでタクシーに飛び乗った。

日比谷通りから総理官邸へ向かってゆくと、財務省前あたりからどんどん人が多くなってゆく。

19時20分ごろ、車が渋滞しはじめたので霞ヶ関の交差点で降りて、人の波に合流した。

先週はもっと官邸近くまでタクシーで行って「ここが最後尾」といプラカードに並んだのだが、22日はどこが最後尾なのか分からないほど、人が増えていた。

官邸周囲をぐるりと人が囲んでいるようだった。

 

わたしは東京の中央区で生まれ育ち、今でも住まい、仕事もしている。

東京で行われるデモの地点まで、行こうと思えば簡単に行ける所にわたしは居る。

けれどもこれまでの数少ないデモの経験では(例えば、イラク戦争反対のデモなど)、デモに行っても全然意義があるように思えなかった。

組織動員の人々がたくさん居て、色々な幟が立っている。幟の別々にシュプレヒコールをする。みんな不幸せそうな顔で、並んで歩く。

もう10年以上前になるだろうか。あるイベントに参加していたのだが、組織系の人々との活動では嫌な思い出だけが残った。

以来、どんなに近くでデモがあっても、わたしは足を運ぶ事はなかった。

 

けれども、今度は黙っていられなかった。

日本は今、地震の活動期のただ中にある。

2011年の311を体験したわたしたちは、今の状況をもっと大きな時間の軸で考えなくてはならないだろう。

3000年余りに及ぶ日本の歴史は、災害の歴史と言っても過言ではない。

大地震や火山噴火、追い打ちをかける台風、大水、引き続く感染症や飢餓との闘いだった。

地震には「活動期」と「非活動期」がある。日本はいつの時代も、地震の非活動期に栄え、活動期には混乱して来た。

そうして今まさに、私の目の前で、長い非活動期が終わり、活動期が始まったのだ。

 

これまで日本列島は、数えきれないぐらい災害に見舞われてきたし、現在のような地震活動期を何度も経験してきた。

けれどもこれまで、原発がなかったからこそ、今日という日に至っているのではないか。

そういう意味で、わたしたちは今、大きな歴史の岐路に立っているのだ。

残念ながら、福島原発の事故を無かったことにすることはできない。元の美しい福島に戻すこともできない。過去を変えることはできない。

けれども、わたしたちは未来を変えることができるのではないだろうか。

地震を止めることはできないけれども、原発を止めることはできるのではないだろうか。

 

「原発を止めると、経済が停滞する」

「原発技術が無くなると安全保障上の抑止力が無くなってしまう」

 

そういう人々に、何度でも言おう。日本という国が亡くなっては、元も子もないのだ。

福島原発の事故の収拾だけでも、これから大きな大きな負の課題を何世代も背負ってゆく運命にある。

そして次の原発事故があれば、その瞬間に、この国は全てを失ってしまうだろう。

国際的に抑止力のつもりが、日本という国の自滅の元凶となろうとしているのだ。

 

次の地震が起こるのを、わたしたちは決して止めることはできない。

けれども、日本という美しい国を子どもたちに引き継ぐために、原発だけは止めようではないか。

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まけないぞうと山本太郎 官邸前のツーショットかな


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