福島に行ってみて改めて思ったこと

2012年10月11日 木曜日

今回、日本災害復興学会の福島大会に際して、初めて自分で線量計を持って福島県に入りました。一日目は飯舘村へ。広大なる除染作業、空間線量の実際、避難所での生活……この日私が体験したことは私にとって、自分の目で確かめなければならなかった事であり、自分の耳で聴かなければならなかった事であり、実はもっともっと早くに自分自身で確かめなければならなかった事をだらけでした。

殊に相馬市の大規模仮設住宅の敷地で、ひっそりと暮らす飯舘の避難者の方にお話しを伺った時、自分の想像を遥かに超えた事態が静かに深く進行している現状を、改めて思い知らされることとなりました。
二日目は、信夫山や渡利地区などの福島市内を可能な限り回りました。信夫山の第二展望台パーキングは、聞いていた通り高濃度の現場でした。

しかし私にとって最も衝撃的だった事は、今までの災害復興のノウハウでは福島のそれは絶対に進まないし、今までの私たちの経験は全く役に立たないのだという厳然たる事実を突きつけられたことでした。自分の現状認識の甘さをいくら恥じても足りませんでした。

今、福島で起こっていることは、恐らく人類史上初めての大きな大きな体験です。そうしてこの事故が福島にもたらした最大の負の遺産は放射能そのものではなくて、「信頼の喪失」だったのだと思います。
人間は本能的に他者と信頼関係を築きながら命を全うしてゆく動物です。もし、自分以外の他者に対して、全く信頼を持てなくなったとすれば、その時点で心と身体のバランスがガタガタに崩れ、健全な生活はできなくなってしまいます。
たった今、そういう事態が福島県を中心とした生活圏で非常に大規模に起こっているにも関わらず、依然としてこの事故を過小評価して単に放射能の値を下げれば良いと言わんばかりの行政執行・マスコミ報道の数々がまかり通っているという事実。また、この件に関して無関心でいる人々が余りにも多過ぎるという事実も含めて、よしんば放射能の値が落ち着いてきたとしても、喪失してしまった人々の信頼は戻らないのだ、という事に、そろそろ私たちは気づかなければならないのだと強く感じた次第です。
この鈍感で無関心な社会を変えない限り、決して福島原発の事故による傷口は塞がる事はないということを、私たちはもっともっと自覚するべきでしょう。

これまで私自身は、阪神・淡路大震災以降、災害復興とは何かということや、来るべき首都直下地震・南海トラフ地震の復興の事などを考察してきました。
しかし、福島原発事故による災害は、これまでのどんな枠組みや法律を駆使しようとも、まずは克服することはできないでしょう。なぜなら、今までの災害で被災された方々の大多数の方々は、決して他者への信頼は失っていなかったからです。もっといえば、逆に、人を信頼するところから始まる災害復興によって、少しづつ元の生活に戻る努力をされてきたはずだと思うからです。

さて、「信頼の喪失」が起こっている被災地にどんな復興のプランを提示すればいいのか、私にもまだまだ何も分かりません。
ただ、今後、多大な健康被害が出るであろうことを鑑みて、先手を打って健康診断等の拡充や無料化のシステム作りをしっかりと確立してゆかなければなりません。もちろん全国どこに居ても同じ医療サービスが受けられることが大前提です。
また、医者と患者の信頼関係が成り立っていない医療サービスは、魂の入っていないという意味で無用の長物です。どんな地域でも患者さんが信頼に足りる医療者と出会えるように、医療者は行政の指示ではなく患者さんが望む医療をいつでも提供し、患者さんが納得してくださるまで何度でも何度でも説明し、寄り添ってゆく気概を持った人材を集めることをしなければ、不安なママ達の心の氷は決して溶けることはないのではないかと思います。

また、この6月には避難の権利を認めた「子ども・被災者支援法」が制定されましたが、この法律にどれだけ具体的な数値を盛り込むことができるのか、ということも今後の大きなステップになるのだと思います。

「災害復興学会が2012年に福島で行われたことが、あの震災からの復興の転機となったのだ、と、そんな大会になったのではないかと思う」日本災害復興学会の室崎会長は挨拶をしましたが、この言葉を一人一人が胸に刻んで、このまったく未知なる原発震災に対して、新しい枠組みをできるだけ早く示し、一人でも多くの被災者に寄り添いながら前に進んでいかなくてはならないと、改めて思いを抱く10月10日です。


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