『雅楽の夕に、』本番!

2011年8月15日 月曜日

8月12日は、大崎八幡宮の夏にとって最大のお祭りの日なのであります。

毎年春から約5ヶ月に渡って、この日のために東京から宮田さんが月に2~3回の割合で
雅楽と舞のお稽古のために仙台ー東京を行き来します。これは15年も前からの恒例行事
になっているそうです。
芝祐靖先生も月に1回ほど、龍笛の稽古に通われるのだそうです。

こうして、芝先生、宮田さん、伶楽舎のメンバーが、大崎天満宮の皆さんと時間と手間を
かけて作られてゆく特別なお祭りが『御鎮座記念祭』なのであります。
その上に3月には震災があって、小野目宮司さんご自身も被災者であり、かつ被災者支援を
ずっとされてこられてきたのでした。今年は舞の巫女さんの入社もいつもの年よりも1ヶ月も
遅れたとのこと。それでも、本番では見事に揃った素晴らしい舞を見せてくださったのでした。

さて、直会で初めて宮司さんに挨拶させて頂いた我々ですが、小野目宮司さんは予想以上に
パワフルな方でした。初めから最後まで、ずっとしゃべりっぱなし。たった今、大きなお祭り
が終わったとは思えないほどのパワーで、震災当日から今までのことを話して下さいました。
各地で流された小さな神社の再建にはどうしたらいいのか、氏子も仮設住宅でみなバラバラ
になってしまって夏の祭りどころではなく、どうやって地元に戻れるようになれるのか、と、
心を砕いておられました。

そんな話の間に、トークセッションの打ち合わせが行われました。田中さっちゃんは司会者
として、時間をとても気にしていましたので、打ち合わせの間も、内容と時間をチェックを
していました。が、会が深まるにつれ、増々宮司さんのお話はヒートアップしてゆきました。
その思いが熱ければ熱いほど、翌日のトークを60分でまとめることが超困難に思えたのは、
恐らくわたしだけではなかったと思います。

さて明けて、『雅楽の夕に、』が午後4時に始まりました。プログラムがどんどん進行し
第二部のトークの時間になりました。
司会者である彼女は、この日一番はじめに挨拶をしました。田中さっちゃんは阪神淡路大震災で、フィアンセを亡くしました。その時の辛い心情を仙台の被災者の方々の辛い心情になぞって、話し始めたのでした。
初っぱなの司会者の自己紹介が余りにも衝撃的だったので、会場は水を打ったようにシーンと静まり返りました。

これをきっかけに、makenaizoneのトークが炸裂し始めました。まずは村井さんの神戸からのボランティアの父の目から見た東日本大震災。お次ぎは若林まみちゃんの闘病記と、どれほどまでにまけないぞうに共感をしているかという、熱い熱いトーク。会場はもらい泣きの方々がハンカチで目を拭っていました。
わたしはといえば、なるべく短くしないとと思っているうちに大したことは言えず、、。

そうして、しんがりの宮司さんも一生懸命まけないぞうのセールスをして下さっていました。本来ならば、流された神社の話や氏子をどう支えるのかなど、被災地の宮司さんとして、お話しをなさりたいことが山ほどあったと思います。
最後に宮司さんにもう一度マイクが渡りました。そこで少しだけ、今回の震災での活動報告をされていました。「いま、この場でやれることをやる!なんでも、頑張る!」という言葉をおっしゃっていました。何ができるか考えて思案をしている間などない。今、やれることを何でも頑張る、と。
そういうお考えであったればこそ、私たちのようなmakenaizoneのメンバーに『雅楽の夕に、』の場を与えて下さったのだと、心から合点がゆきました。

ところで司会の田中のさっちゃんですが、実はドキドキしてどうなることかと思っていたようですが、あの体当たりの司会が会場のお客様の心を打ち、壇上のメンバーも暴走することなく、予定時間を1分オーバーしたのみで、無事に第三部にバトンタッチすることができました。

本当に宮司さんはじめ芝先生、宮田さん、伶楽舎のみなさま、関係者みなさまに心から感謝を申し上げます。とともに、あの暑い中、最後までおつきあい頂いた会場のお客様一人一人に、心よりの感謝を申し上げます。
お陰さまで、まけないぞうも300頭以上お買い上げ頂いたそうです。被災地の仙台の地で、まけないぞうがみなさまに可愛がって頂けること、本当に嬉しく心よりの御礼と感謝を申し上げます。


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