CODE海外災害援助市民センター 吉椿雅道さんによる、3.11あの日、あの時

2021年3月11日 木曜日

【CODE海外災害援助市民センター 事務局長 吉椿雅道さんによる、3.11あの日、あの時】

3.11あの日、あの時
2011年3月11日、神戸を出て東北へ向かった。
北陸道で新潟、山形をへて、翌日早朝、宮城県の岩沼や名取に入った。
水がまだ引いておらず自衛隊がボートで人命救助を行っていた。
名取で炊き出しなどをして、南三陸に向かった。
そこで原発事故が起き、福島の人たちが山を越えて山形県米沢に避難してきた。

米沢の仲間からSOSがあって、避難所の立ち上げや運営、足湯ボランティアなどのお手伝いをした。
東日本大震災の前に起きた宮崎の新燃岳噴火の被災地の方々から届いた野菜を使って、米沢のお母さんたちが炊き出しをしてくれた。

福島のあるお母さんは、「あの時、私たち何もしなかったのに、宮崎から野菜が届くなんて」と泣いていた。

2008年の中国四川大地震の被災地からもたくさんのメッセージが届き、避難所の廊下に掲示した。
炊き出しを待つ列に並ぶ福島の人たちがそれを読んでもらった。
やはり涙を流す人の姿があった。支え合いや痛みの共有が目の前にあった。

震災直後の東北の被災地で見たこと、聞いたこと、感じたこと、悩んだこと、出会った人たちや風景は決して忘れることはできない。
そして被災地KOBEより東北へ追悼の念を。

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