「3・11 ここに生きる」泣いた、泣いた!

2011年10月27日 木曜日

みなさん、”あくろっしゅとわー”村井です。

昨日(26日)、映画祭で「3・11ここに生きる」に招待して下さり、我謝京子監督とも初めてお会いし、阪神淡路大震災のときのこともお話しできて、またmakenaizoneのみなさんが見事にまけないぞうの販売をされ、あっという間に1日が終わり、感動の余韻を味わいながら、みんなでお昼ご飯を食べて、時計を見たら「午後4時前」。えっ、今から品川駅まで行って「4時37分」に間に合うだろうかと気づき・・・・・・Mさんがスマホで行く道順を調べてくれ、「申し訳ないですがお先に失礼します!」と挨拶しながら、「四谷→(丸の内線)→赤坂見附乗り換え→(銀座線)→新橋乗り換え→品川駅」というのを頭に入れながら、急いで店をでて、四つ谷駅まで走って、やっとの思いで丸の内線の乗り口を探し、・・・・・走って、走って、結局間に合いませんでした。
増島智子に、「ちょつと太メンだから走っても間に合わなかった!」ってメールを打ったら、「お腹を抱えて笑い転げて、笑いが止まらない!!」だって。こっちは必死で走って、最後の品川駅のエスカレーターの階段が足があがらないほどヘトヘトになって、荷物を預けていたコインロッカーに辿り着いたのが「午後4時38分」、「チーン!!」という感じ。

こんな体たらくでお恥ずかしいことです。やっと長い出張が落ち着き、今朝から事務所にいます。

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「3・11 ここに生きる」増島と隣り合わせで座っていて、「泣いた、泣いた!」
ほんとにすばらしい映画でした。早く皆さんに見てほしいですね。
我謝京子監督が、始まる前に「この映画の原点の一つに阪神淡路大震災があるのです。」と言われたときには、感無量でした。
阪神淡路大震災での被災者=作り手さんが、よく頑張ってきたよな!とこみ上げ、また阪神淡路大震災の被災者お一人おひとりが「3・11 ここに生きる」をとおして、東日本大震災の被災者につながったんだと感激し、「痛みの共有」ってこうして溶け合うんだなぁと感じながら、観させて頂きました。まけないぞうタオルが何本あっても足りないくらい、泣きそうだったのですが、鼻をズルズルいわせながらハンカチでなんども目を拭いました。

ナント、ヨーロッパのほうではルクセンブルグ初上陸を成し遂げたばかりか、新しい大司教さんにも象がわたったんですね!
マザーテレサが言った「私たちは大きなことはできません。でも小さな愛をもってやることはできます!」というフランス語訳は伝わったでしょうか?えっ、ルクセンブルグはドイツ語、ですか?
しかし、またまた偉いことになりましたね!大司教さんが何かの儀式で、まけないぞうを披露されたりしたら、とんでもないことになるのでしょうか・・・・・?

でも、みなさまのお陰で、生産が追いつかずご迷惑をかけながら、支えて頂いて、ほんとに被災者のみなさんには「どんどんつくってもいいよ!」と言える環境をつくって下さっていることが、被災者にとっては一番嬉しいことです。
いろいろな所から、「教えて欲しい!つくりたい!」という声があがり、さらには県外被災者からも同様の声があがり、自分でもどうなるんだろう?と思いながらも、「えぃ!とにかくどんどん行け!makenaizoneがいるから何とかなるよ!」と言い聞かせて、とにかく走っています。

まけないぞうが、離ればなれになった被災者を確実につないでいます。
まけないぞうが、被災者と被災者をつないでいます。
まけないぞうが、私たちもつないでいます。
まけないぞうが、世界をつないでいます。

被災者のみならず、「3・11 ここに生きる」と誰もが認識させられるのですね、被災者の存在によって。
溶け合うなんて、大それたことを言えないけども、でも溶け合いそうって感じです。
この映画、とりあえず神戸で、東京で、フランスで、ガンガン上映しましょう!
「泣いて元気になって、笑って元気になって、まけないぞう!!」だね。

(写真は、上映会終了後の我謝監督、映画に出演された西原さんご夫妻、増島智子さん、青木正美さんと共に、被災地NGO恊働センター村井雅清代表、makenaizoneメンバー)

我謝監督「311:ここに生きる」の各地での上映会について(2011年10月28日現在)
一日も早く、より多くの方々に観ていただきたいと強く願っているのですが、今回の第二作目の作品は映画配給会社との絡みもあり未定です。
上映会について詳細が決まりましたらお知らせいたします。


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