年末最後の東北行き 26日、27日の二日間 釜石の仮設でまけないぞうを創ってきました

2011年12月31日 土曜日

みなさま、”あくろっしゅとわー”村井です。

みなさま、今年は大変お世話になりました。言葉では言い尽くせないほど、感謝の気持ちでいっぱいです。

年末最後の東北行きとして、26日、27日の二日間でしたが岩手県で頑張っている増島智子への慰労を兼ねて、釜石の仮設でまけないぞうを創ってきました。みなさん、凄く元気で正直ホッとしました。嬉しかったです。年末最後の回収になったのですが、みなさんギリギリまで創って下さって、86才のリーダーは68頭、他の3人は各々40頭、30頭、20頭と頑張ってくれています。20頭を出荷して下さった方は、はじめてこういう手芸品をつくったそうで、それでも20頭も創れるようになって喜んでおられました。
40頭の方は、少し離れた仮設から2回路線バスを乗り換えて、こうしてみなさんが集まってくる仮設にいつも来られるようです。この方は、ご主人が身体の具合が悪いのですが、少しの間をぬって来てくれています。

 

私が今回どうしても行きたかったのは、釜石のこの仮設で初めてお会いしたSさんのことが気になって、Sさんの前でまけないぞうを創りたかったからです。
Sさんは、釜石市内で53年間お店を営んでいたのですが、今回の大震災でお店も、ご主人も、息子さんも流されてしまい、たったお一人になってしまったという方です。避難所でまけないぞうに出会い、「少し前を向いて行けそう・・・・。」とかすかな希望を手にし、仮設住宅に入りてんでばらばらになっていたのが、また偶然ここの仮設にまけないぞう講習会を開いた時に再会したのです。
はじめてお会いしたときは、「まけないぞうのおかげで、少し元気になりました。」と言って下さったものの、まったく声に張りがなく、それでも「避難所にいる間は何もすることがなく、身体もなまってしまったので、ここに(仮設)来て毎朝歩いているのよ・・・・」と遠くを見ながら語ってくれました。笑っているのですが、心底笑っているようには見えず、大変気になっていました。
今回再会して元気な笑顔を見ることができ安心しました。私のつくったまけないぞうを手にとって見てくれ、「上手になったね!」と言ってくれました。
正直言って、まだまだ心底の笑いにはなっていない気がしますが、お友達も出来て大夫元気になったように見受けました。
考えてみれば、いつまでも心底の笑いなんてないのかも知れません。でも、まけないぞうを介していろいろな方が見守っていることが伝われば、ゆるりゆるりだけれどもきっと力強く歩かれるだろうと願って止みません。

 

極寒の東北で頑張っている増島はじめボランティアの人達には頭が下がります。事前に、増島から「朝6時から雪かきだからね!」と言われていたので覚悟をしていたのですが、私がお邪魔した二日間は、雪も降らず穏やかな日々だったので、「毎日雪かき!」なんてウソのようでした。でも今朝「朝から大雪!」というメールが来たので、私が滞在した二日間は例外のようでした。

 

先日12月11日に、福島県白河市の仮設住宅で67才の男性が孤独死されたという記事が出ました。この方は津波で妻を亡くし福島第一原発事故で故郷を追われた福島県双葉町の方です。お一人暮らしで、冷え込んだ朝に風呂場で心臓発作を起こしたと見られています。仮設の暖房は一部屋にしか入らないようです。しかし、あと二日でもう新年という今でも、宮城県の一部ではまだ冬対策の突貫工事をしているところもあるのです。
そして「福島県は寒冷地仕様でない仮設が多い」という指摘もあります。

先日福島、宮城、岩手の3県で避難所から待機所に移っていた方が、すべて待機所を出られたという報道がありました。33万余名の方が仮設住宅で暮らしています。(みなし仮設を把握できていない市町も少なくなく、在宅の被災者に至っては支援は手薄なままです。こうした被災者への見守り、寄り添いボランティアが今こそ大量に必要な時期なのに、5月の連休をピークにボランティアは減り続けています。原発・ガソリン不足・余震の影響もあり、最初にボランティアにストップがかかったことが尾を引いているのでしょう。
これから極寒の東北を思うとボランティアは増えないでしょう。春先の暖かくなった時のことを考えて、今からいろいろと知恵を出さなければならないのですが厳しいかと思います。

 

そんな中でも、各地で再起をかけて「仮設店舗」を再建し頑張っておられる方々も増えてきました。
人口の減った被災地で、充分に採算が取れる見込みはないのにも拘わらず地域の復興のために頑張っている姿には、こちらが元気を頂きます。またあちらこちらで住民主体のまちづくりの一歩が始まっています。阪神淡路大震災では、発災後9ヶ月でこれほど住民主体の復興計画がつくられていることはなかったです。
みなさん、「まけないぞう!」とこの苦難を乗り越えられることを祈りましょう!

岩手県大槌町赤浜という漁村で、奇跡的に助かった商店のご主人にお話を聞きました。
淡々とあの時のことを話されるのですが、静かに「後ろを振り返っても仕方がありません。」という言葉にこちらが泣き出しそうになりました。
この町に学校からバスに送られて小学生が帰ってくる頃には、もう真っ暗だそうです。街灯一つついていません。丁度地域の入り口にあるこの店の明かりが安心をもたらしています。ご主人曰く「いつも子どもたちが帰ってきたのを見届けて、店を閉めるんです。」とおっしゃっていました。このご主人も仮
設でまけないぞうを創っている方をご存じでした。

 

みなさま、来年も応援よろしくお願い致します。まけないぞうのつくりてさんは、全被災者のホンの一握りです。でも”まけないぞう”を創っておられる方のほとんどは、どんどん元気になっています。南三陸や石巻、仙台のつくり手さんに年末最後の電話を入れました。「わざわざお電話下さってありがとう。感謝します。」と言って下さり、みなさん大変元気ですごされています。
みなさまの応援が確実に届いています。話題の中ではやはり「アメリカ、オーストリア、フランス、ドイツなど世界中に飛んで行っていますよ!」と被災者に伝えると目を白黒されて喜んで下さっています。「つい最近ではアフリカにも引っ越ししています。」と言えば、もう驚きの表情です。

 

阪神淡路大震災からずっと大切にしてきたマザーテレサさんのメッセージを最後にお伝えし、今年最後の”あくろっしゅとわー”村井からのお礼の言葉とします。

「私たちは大きなことはできません。ただ小さな愛を持ってすることはできます。」
また来年、あくろっしゅとわー!!

—————————————–
被災地NGO恊働センター 代表
CODE海外災害援助市民センター 事務局長・理事
村井雅清(むらい・まさきよ)


ページトップへ Top of page